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2015年11月19日 23時45分
小さなことでも、大きな影響 ~肯定・否定の思いが出すエネルギー~
2週間ほど前、ショート合宿に参加させていただいて、
発見したもう一つのことがあります。

それは、小さなことでも、心の持ち方で、
ものすごく大きな影響がある、ということです。

それまでは、正直、ちょっと人のことを批判したり、
ほしいという気持ちに少し振り回されても、
「人間だからしかたない、人間らしくていいや(^_^;)」
と思っていたところがありました。

ところが、合宿に参加させていただいて、
ほんの少しでも、否定的なことを思うことで、
自分の内側にしっかりと毒が発生することがわかりました。

わー少しでも、だめなんだ!ってすごく見えました。

否定的な思いって、自分にも相手にも
矢のようなするどいものを投げているような感じで、
分断して傷つけ合う
そんな感じのエネルギーがわかりました。。

逆に、肯定的な思いは、
自分も相手も同じエネルギーで包み込むような、
暖かさと平和があることがとてもよくわかりました。

昔、同じ植物を育てるのでも、
肯定的な言葉をかけた植物と、
否定的な言葉をかけた植物で
育ちに大きな差がでる、というのを聞いたことがありましたが、
すごく納得しました。

目に見えないところのことって、
とってもパワフルなんだなあ~と改めて思いました。
(ねぎ母)
カテゴリー:日記
2015年05月30日 22時07分
お腹の大掃除♬ ~ 腹イタくんとの一週間(*^_^*) ~
先週の日曜日は、
おじいちゃんの退職祝い&お誕生日祝い日だった。

おじいちゃんがお手製で天ぷらを揚げてくれて、
私がケーキを作って。

弟や妹家族も集まって、総勢12人。大賑わいだった。

以前はすごく苦手だった親戚づきあいも、
楽しくできるようになったなあ~と思っていた矢先、
準備も片付けも手伝っていなかった一人が
「このケーキ甘すぎない~?!」と言い出した。

久しぶりにカチン☆!と来て、
トゲトゲしく「ごぉめんなさいねっ#」と返答していた私。

いかん、いかんと思い直して、
「しょうがない、悪気があるわけじゃ、きっとないんだから。」
と自分に言い聞かせて、その場をしのいだ。



次の日、そのプリプリのせいか、食べ過ぎのせいか、
お腹がピーピーで、気持ちが悪い。

息子に大きな祈願を出したタイミングも重なっていたので、
きっといろいろと変化するために、
体に症状がでてきたんじゃないかな、と直感的に思った。


瞑想してなかったら、お休みしなくちゃいけないくらいだったが、
気持ちをヨグマタジに合わせて、感謝の思いでいると
どうにかしのげた。

職場の人たちからは、
「え~、具合悪いの?全然わからなかった。」と言われるくらい、
仕事もちゃんとこなせた。

結局、5日間、腹イタくんと付き合った。
最後の日は、お腹の中で、台風が発生したように、
大雨、大風、大嵐という感じだった。
が、なんだか、気持ちは落ち着いていた。


金曜日の夕方、ふと、
なんだか、ものすごく素直になっている自分に気づいた。
以前だったら、
「自分を認めて」とか「自分を褒めて」と
自分のプライドが叫んでいたような場面にであっても、
いたって冷静で、余裕な自分でいられた。

お腹の中の嵐が、
なんだか、いらないものを洗い流してくれているように、感じた。



今日の朝、久しぶりにゆっくりと座って瞑想していて、
ものすごい変化に気づいた。
(いつもは”ながら瞑想”
〔:歩きながらとか、家事をしながら、瞑想をすること〕
になることが多いので。)

いままでは瞑想中、
自分の胸のあたりに、空間が広がって、
とっても気持ちよく充電している感じなのが、
今日は、さらに
自分の上半身の中全てが空っぽで、
おしりの下まで、とーっても爽やかな空間がひろびろと
広がっていたのだ。

ああ~!本当に、お腹の中の台風が、
私の中のいらないものを洗い流してくれたんだ!と、
とっても有り難い想いが湧いてきた。


顔も体も一層、すっきり!すごく充電した感じだ。

無駄なことって、なんにもないんだなあ、
全ては有り難いことなんだなあ~って、またしみじみ思った。

(ねぎ母)
カテゴリー:日記
2015年04月22日 19時48分
ヨグマタジご著書のパワーにびっくり ~眠い(T_T)からシャキン!へ~
一昨日の朝、はっと目が覚めたら、6時30分だった。

寝坊した!と跳ね起きて、
子供たちのお弁当作りや朝ご飯づくりを始めた私。

が、しばらくして落ち着いて時計をみると、
一時間早い5時30分だった(^_^;)

ちょっと眠かったが、せっかくなので、余裕をもって支度を進めた。



その後、通勤電車の中で、
眠たくなってきて目をつむりそうになった私。


「そうだ。ヨグマタジの本を持っていたんだ」
と思い出し、読み始めた。

始めは、それでもまぶたが閉じそうだったが、
次第になぜか、体の中にエネルギーが充満してくるのがわかった。

どんどんまぶたも軽くなる。わーすごい!!と思った。

ほんの7~8分の間本を読んでいただけで、
電車を降りるときには、シャキーンとしていた。
短時間で、ものすごく深い睡眠をとったような感じだ。


ヨグマタジもご著書でかかれているが、
本には、宇宙からの尊い強力なエネルギー
(アヌグラハと呼ばれている)が込められている、
というのを、とっても納得した。

普段も、仕事が立て込んでちょっと忙しい気持ちでいる時など、
ちょっと読むだけで、ものすごく回復するのがわかる。

ヨグマタジのご著書は、内容もすばらしいが、
本そのものにも、すごくパワーがあるんだなあと改めて実感した。


(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2015年03月16日 22時47分
手放したら手に入る ~人生の先輩Aさんとのおしゃべりから~
昨日、久しぶりにダルシャン(ヨグマタジ講演会)に参加してきました。

会場に入りきれないほどの人数でした。

みなさん、以前よりどんどんいい笑顔になられていて、
見ている私の方がとっても嬉しくなりました。

Aさんとも会場でばったりお会いしました。
以前舞台女優をしていたという、おばあさまのAさん。
ゆったりしていて、笑顔の素敵なAさんです。

以前に増して、笑顔が素敵だったので、お聞きすると、
「ヨグマタジと繋がる」ということがわかってきた!」とのこと。

以前のAさんは、
「ヨグマタジと繋がりたい、繋がりたい」と必死に思っていたのに、
全然うまくいかなかったそう。

それが、あるプログラムを出た帰りに、
「手に入れようと頑張っていたけれど、その思いを手放そう」と
決めたそうです。

すると、しばらくしたら、
ヨグマタジのことを思っただけで、
体がとっても温かくなってきたり、調子がよくなってきたそう。

「繋がるってこういうことなんだ」と実感できてきた、
と嬉しそうに話してくれました。

その後すぐ、なぜか片足のひざが痛くなり、
しばらくは、「痛い、いやだな、どうしようかな」と
思っていたそうですが、
ふと、
「これも有り難いことなんだ」と思えて、
そうしたら、症状が軽くなってきたそう。

直したい、とか、痛いのがいやだ、の
思いを手放したら、
良くなってきた。

そんな話を他の人からも聞いたことがあったなあ、と思いました。

ヨグマタジの講演会でも、
「全てのことは、”有り難い”のよ」
とお話されていたのが、とっても印象的でした。

ジャッジしたり、頑張ったりするより、
そういう思いを手放して、
感謝して見守っている。
それが、本当に手に入れたいものを手に入れる、
一番の近道なんだなあ~って、
改めて思いました。

(ねぎ母)


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2015年01月25日 19時52分
自暴自棄なエネルギー ~”責める”ことから始まるラプソディー~
ヨグマタジの瞑想をコツコツつづけているお陰で、
普段から、透明な気持で過ごせる時間が増えてきました。

そして、自分の内側にある、心のかけらもいろいろと見えてきます。


最近、とっても強く感じたのは、”責める”というエネルギーって、
本当にいらない、ゴミみたいなものだったんだなあ~
ってことです。

昔は、”責める”ことで、
自分も相手も向上する、切磋琢磨されると
信じてその心を使っていました。
そして、そうした効果があると、勝手に思い込んできました。


先日、やろうと思っていたことができずなかった上に、
さらに余計と思われることで時間をつぶしてしまった時、
自分を”責める”気持がもくもくと湧いてくるのがわかりました。

その思いは、背筋がぴんとするというよりは、
背筋が凍るような
「自分も相手も傷づけてしまいたくなるような破壊的な気持ち」でした。
それは、
ダメな自分をさらに傷つけたくなるような気持でした。

思わず、食卓のテーブルにあった食べ物を
食べたくもないのに、口に放り込もうとしている自分に気づいて、
お祈りをし、ヨグマタジにいただいているマントラを唱えました。


”責める”というのは、
本当にものすごくマイナスなエネルギーだったんだ。
暴力的で破壊的でダメにするエネルギーだったんだ。
その時、ものすごく衝撃的に理解できました。
私というエゴが貯めたゴミだったんだなあ・・・。

マントラを唱えつづけていると次第に落ち着いてきました。
そして、ようやくとても深いところから
”責める”ことと決別できる覚悟が整ったように思いました。


思えば、私は物心ついた時から、
”責める”心ばかり使っていたように思います。
そして、自分も周りも傷つけてきたように思いました。

それでも、こうして生かしてくださった神様や
許してくださった周りの方々に本当に頭が下がりました。

心って本当の自分に帰るのに、
本当にいらないものなんだなあ・・そんな思いを強くしました。

(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年12月12日 22時14分
お財布落としても”感謝” ~また軽やかになりました☆~
10日(水)朝出勤する直前に、
いつものかばんの中にお財布がないことに気づいた。

以前だったら、”誰か取ったでしょう?!”くらいの勢いで
大騒ぎするところだが、なんだかとっても落ち着いていて、
「どうにかなるよなあ」ととっても感じていた。

現金もキャッシュカードも保険証も鍵も入っているのに、
なんだかどこか安心している自分がいた。


お昼休みに、キャッシュカードだけは止めておこうと思ったが、
なんだか忙しくて、お昼休み返上で仕事。
翌日は、選挙の期日前投票のお当番で、
一日市民センターで選挙事務をしなくちゃいけなかったので、
仕事的には大助かりな進み具合。


帰り道、近所の交番に寄って、お財布を落とした届け出をした。

駅前の交番。
ものすごく寒い交番の殺風景な部屋で、
20代前半くらいの若い婦警さんがとっても丁寧に対応してくれた。
帰り際、「これから自転車でお帰りですか?
寒いので気をつけてください。」と一言。

いやいや、この交番の中にずっと居る方が
たいへんですよ!まだ午後7時でこの寒さなのに、
夜中はどうなるんだろう・・。
思わず、「寒いのにたいへんですね。
ありがとうございます。」と返事をした。

自転車での帰り道、心がものすごく軽くなっていた。

実は、駅前の交番のおまわりさんは、
いつも「自転車押してください」とか朝の忙しい時間にも
みんなに声かけしたりしていて、
「うるさいなあ、いつも人を疑ってかかるから、警察官はいやだ」とか、
内心思うところがどこかあった。

それが、婦警さんとのやりとりで、
警察官への思い込みがとれて、
たいへんな仕事をやってくれているんだなあ、
という感謝の気持ちがあふれてきた。
なんだか素直な自分になっている。

単純で笑ってしまいそうだが、
思い込みが外れるって、
実はそんな単純なきっかけなのかもしれないと思うと同時に、
絶対ヨグマタジが力を貸してくれているって感じた。


家についてから、銀行のサービスセンターに
キャッシュカードからの引き出しを止める
お願いをしに、電話を掛けた。
その窓口の方が、またまた親切で、とっても丁寧に対応してくれた。


電話を切った後、やっぱりとっても軽くなっている自分に気づいた。

銀行に対しても、「人のお金ばかり扱っていて、
世の中で本当に大切な仕事じゃない」とか
どこか批判的に思っていた自分が、
銀行の人もたいへんな仕事を丁寧にしてくれているんだ、と
感謝の気持ちに変わった。

私自身の気づきのために、
お財布がなくなったのかもしれないなあ、
それはそれで有り難いなあ・・。


そんなことを、思っている時、電話が鳴った。


婦警さんが問い合わせてくれた警察署の本署に
お財布が届けられているというのだ。

翌日の選挙事務は早朝から夜遅くなので、
取りに行くのはあきらめて、
今日、午後代休をとって、警察署に出かけた。
窓口の方もとても親切に対応してくださり、
ひろってくれた方のお名前とご住所を教えてくれた。
お礼はいりません、と言っていたとのこと。

そうは言っても、と思い、帰り道、菓子折を買って届けようと思った。
そうだ!ヨグマタジのご本もプレゼントしよう!


お留守で直接はお話できなかったが、
お手紙と贈り物とヨグマタジの新刊を玄関に置かせてもらって
夕方帰ってきた。感謝の気持ちを込めて。

なんだかばたばたしたけれど、
結果的にはとってもいい経験になったなあってすごく思う。

「お財布って、落としても戻ってこないのよねえ、
特に現金の入っているのは戻ってこないね!」と
周りの人たちから聞いていた。
が、ヨグマタジのスタッフの方からは、
「普通はお財布って戻ってこないことが多いんだけど、
ヨグマタの瞑想をやっている方は
戻ってくることが多いのよねえ~」と。

お財布を落としたことについても、
落ち込んだり、自分を批判したり、悩んだりせずに、
代わりに自分の中の批判や嫌いのエネルギーがキレイになって、
とっても軽やかになっている。

それだけじゃなくて、お金に対して上手に使わなきゃいけない
という強迫観念みたいなものも、
一緒になくなったような軽やかさだ。



自分を信頼して、ヨグマタジを信頼して、
過ごせばいいんだなあ・・。

ただなんだか手を合わせたいくらい有り難い経験だった。

(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年10月31日 20時13分
怒られずに感謝される不思議 ~いつもいい流れがあって~
最近とても感じるのは、
以前だったら、トラブルになったり嫌な気持ちになったりしたことが
起きそうになっても、スルリと通り過ぎてしまう不思議さだ。

だから、
「ハートの中でヨグマタジといつも一緒。だから大丈夫♡」
という感じでいつもゆったりと安心している。
とっても気持ちが良い。

昨日、出席を約束していた
友人が開催する研修会にいけなくなり、
キャンセルの申し込みをした。

予定参加人数を下回っていると聞いていたので、
私が行かなくなるとまずいかなあとちょっと思っただが、
以前のようにぐだぐだ考えずに、
すぱっと謝って欠席を伝えられた。

翌日、友人からお礼のメールが届いた。

「実は、例の研修会は参加人数がとても少なくて、
実施すべきか悩んでいた。
ねぎ母さんが断ってくれたお陰で中止の決断ができた。
結果的にとっても良かった。ありがとう!」

正直、びっくりした。
あぁ、本当にヨグマタジが守ってくれているんだなあって、
ゆったりした心で思った。


この前、遅刻しそう!ってちょっと焦った時も、
結果的にはほとんど遅れずに、
待ち合わたの方から
「ちょうどよかった。ありがとう」って言ってもらえた。

ヨグマタジが「自分が出したものと同じものが返ってくるのよ」と
お話されていたことがあったが、
瞑想を続けさせていただいているお陰で、
以前よりいいエネルギーが自分から出ているのかもしれないなあ、
と思うと、またまたとっても有り難いなあ、
自然に変われるってすごく幸せだなあって思った。


(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年09月15日 17時57分
焦らずに成果をだす方法
~ダラダラぐずぐずor鼻息荒い根性論 からの脱却(^_^)/~~
振り返れば、いつも焦っていた。
朝、遅刻しないか焦って、
仕事が締め切りまでに終わるかと焦って、
早くもっと能力を高めなくてはと焦って。
休みの日は、たまった家事をやりきらなくちゃと焦って。

焦って、欲張ってやっているので、
できる以上の目標を立てて自分を奮い立たせて。

で、できなかった自分をとことん責めて。

だから、時々凧の糸が切れたみたいに、
なーんにもしたくなくなって、
ダラダラぐずぐずして時間を過ごしてしまう。



そして、あー無駄に時間を過ごしてしまった・・とまた自分を責めて。


振り返るとつらい毎日だったなあって思う。

今は、
そもそも私たちは、とっても愛されて、
最高の自分で生かされてるっていうことが
♡の奥から感じられるので、いつもHappyな気分だ。


だから、やらなきゃいけないことはちゃんとできるし、
その順番をつけることも得意になった。
気づいたら、日々コツコツとやることをこなせるようになって、
たとえば週末にまとめて家事をやらなくちゃいけないことも
とっても少なくなった。

朝の出勤も余裕がでて、
仕事もちゃんとはかどって、
家事も好きになって、
苦手だった家計簿もさらさらとつけられるようになった。


中庸って、言葉ではいうのは簡単だけれど、
全然実践できずに、怠けるか根性で乗り切るかしかなかった私。

ヨグマタジの瞑想のお陰で、
こんなにHappyな自然な自分でいられることに
大大感謝!の毎日だ。
(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年07月11日 17時56分
カスミを食べて生きる?! ~いざというときも守られて~
先日電車が事故で止まった。

当初は深夜くらいには回復するらしいという噂で、
ちょうど仕事もいろいろとあったので、
まとめて仕事を片付けて駅に向かった。

駅では、回復までにまだ時間がかかりそうとのこと。

振り替え輸送のバス便は長い長い行列。
駅員さんによると、明日の朝も動かないかもしれないとのこと。

明日はいつもより早く出勤して仕事をすまそうと思っていたので、
明日電車が動かないと出勤できないなあ・・と思い、
夫に連絡して、家に帰らずどこかに泊まって明日出勤することにした。

でもホテルはどこもお客さんでいっぱい。
そうだ、職場の市役所に泊まろう!と思った。
いろいろ心配せずに、パキっと気持ちを決められた自分に、
以前のいろいろ心配したり思い煩ったりしていた自分を思い出し、
変わったなあとふと思った。

市役所までの戻り道、久しぶりの友人にもばったり出くわした。
「なんかまた変わったね!」と褒めてもらった。
気をつけてね、とお互いを労って別れた。

警備員さんになんて言おうかなあと思いながら、
市役所の窓口に行くと
「電車が動いていないんですね。お泊まりですか。
ご苦労様です!」と元気よく通してもらった。

顔を洗って、ゆっくり瞑想した。午前2時。
休憩室にソファーがあったことを思いだし、
そこで仮眠して、午前4時に目が覚めた。
席にもどってゆっくり瞑想した。
顔を洗ったりして、午前6時から仕事を始めた。

食事を取るのも忘れていたので、一日半食べることもせず、
ほとんど睡眠を取らず迎えた朝。

以前の私だったら、その状況を思うだけで、
「もうだめだあ~」と思ってしまったと思うが、
自分の内側からは「食べないと体の休養になり、
若返りになるとヨグマタジが言っていたなあ~」なんて
のんきな思いがでてきた。

とにかくいつも以上に元気に仕事をこなせた。
自分でもびっくりした。

若い頃から、徹夜が全然できず、9時間寝ても眠かった自分。
食べることにこだわり、いつも量や時間や諸々を気にしていた自分。

それが、食べなくても、寝なくても、
こんなに元気に楽しく動ける自分になっている!

結局、2時間睡眠で丸二日食事せずに過ごしたが、
いつも以上にエネルギーに満ちていた。

カスミを食べて生きるって聞いたことがあるけれど、
ほんのちょっとだけそれを垣間見たような体験だった。

瞑想を続けてきて、本当によかったなあ~~と
また心の底から思った。

(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年07月05日 17時56分
幸せがあたりまえになる幸せ ~知人との会話で気づいたこと~
昨日、仕事の関係で、久しぶりにある知人にあった。

彼は、国際関係の財団で働いている。

仕事の話が一息つく頃、彼がふと家庭での話を始めた。

今朝も小学校5年生になる長女が、友人関係のトラブルで、
学校に行きたくないと言い、妻が仕事を遅らせ、
2時間目くらいから学校に連れて行った。
長男の小学校3年生は、
救急車で運ばれるような大けがを何度も繰り返している。
昨日は大事なおもちゃを友人に盗られたと夜中泣き続けた。
次男の幼稚園の年中は、全くといっていいほど、
親の言うことを聞かず、兄が怪我をするような暴力的な行動を
いつもしている。不安なのか、いまだに指しゃぶりがやめられない。
妻もいつも機嫌が悪く、家に帰るのが苦痛。
子育てがこんなにたいへんだと思わなかった。
家でもいつも子供たちを叱っているので、安らぐことがない・・・。

いつも元気で頑張っている印象の彼の口から、
悲壮な家庭事情の話が次々とでてきた。


我が家もヨグマタジにご縁をいただいていなかったら、
今頃同じような悲惨な状況だったに間違いない・・・と、とても思った。

平和で幸せな日常があたりまえになっていて、
子供たちがちょっと口汚くケンカするくらいのことで
「こんなに瞑想をしているのに、まだこんなことが起こる・・」と
どこか心の隅でジャッジしたり、批判的に感じていた自分を
ものすごく反省した。


今のこの生活がきっと奇跡なのだ。
こんなふうに平和に日常生活を送らせていただいていることに
感謝が足りなかったとも反省した。

幸せがあたりまえになっている幸せ。
このことに改めて気づかされた。

そして、この幸せは
苦しんでいるほかの人たちにも分かち合うために、
与えてもらった奇跡なのだ、とも、とても思った。

彼とは短い時間の打ち合わせで、
ヨグマタジの話ができずに別れたが、
いつか必ずヨグマタジのことをお伝えしよう、と心を決めた。
(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年06月26日 23時23分
痛みのおかげでスイスイ楽々 ~体の感覚から気づく中心の位置~
今朝、自転車での駅までの坂道で、車と接触するハプニングがあった。

「こういうときもヨグマタジに感謝だ!」とすぐに思った。
足の一部に打撲の痛みはあったが、
そのまま自転車で駅まで行けた。


その後もヨグマタジへの感謝に思いを集中させていくと、
坂道では今まで以上に注意して運転しようという反省と、
合わせて、
今朝の自分が”思い”に囚われていて、
いろいろと考えていたり、ジャッジ続けていたことに気づいた。

夕べ、高一の長男と、
率直に意見を戦わせた思いが残っていたようだ。


「私の中心は”思い”じゃないんだ」と思え、
さらにヨグマタジに感謝の思いで集中すると、
とてもすーっとして
自分の内側に太陽が差し込んできたような感覚になった。

その後も、足の痛みに気づくと、意識して、ヨグマタジに集中できた。

お陰でいつもより、スムーズで軽く物事が進んだ。


帰り際、部下から
「今日もいろいろありましたね。お疲れ様でした。」と
声をかけてもらったが、
「そんなにいろいろあったかしら?」と思うほど、
自分ではいつも以上に疲労感が全然なく、
気持ちよくスイスイ通り過ぎた感じがした。


家に帰ると長男は、いつもより意識を持って、
いろいろと取り組んでいた。

なんでも学びなんだなあ、本当に無駄なことはないんだなあと、
改めていつも深い気づきをくださるヨグマタジに
感謝の思いを感じている。


(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年06月18日 20時23分
立ち向かう勇気 ~直感で最短コースを進める幸運~
最近、自分の困難に対する感覚が変わってきた。

それは、仕事のことでも、家庭のことでも。

以前の私は、
将来的な問題がなんとなく見え隠れしている状態の時、
その場を平穏に過ごすことに無意識に重点を置いてしまい、
問題解決は後回しにしていたように思う。

それは、あえて事を荒立てることで、
自分が受ける心理的な実質的な負担を回避したいという思いが、
無意識にそうさせていたように思う。


ところが、最近はなんだか、とても度胸がついてきた。

問題が見え、その解決のために通らなければならない道であれば、
あえて、今、事を起こすことがどんどんできるようになってきた。

父や妹との、馴れ合いの共依存のような関係。

関係団体との摩擦。

難しい部下への指導。

まだ、今すぐ解決しなくても、
火を噴くのはおそらくもうしばらく先だろう、という状態のものでも、
自然に自ら火の中の栗を拾うような行為が
スルスルとできるようになってきたのだ。

それは、自分自身の中心が、以前よりさらに、
揺れ動く心ではなく、
もっと奥にある純粋で変わらないスピリットに
近づいてきているからではないかと感じている。

その証拠に、
一時厳しい態度で接したり、
いろいろと紛糾することがあっても、
どこか自分の奥深くに
相手の幸せを祈る気持ちがあることがわかるからだ。

そして、その問題はびっくりするほど早く解決し、
その間柄は以前よりさらにいい関係になったりするのだ。

以前だったら、「こんなこと言ったらどう思われるだろうか」とか
「一生気まずい関係になってしまうんではないだろうか」とか
「きっとだれかがどうにかしてくれるはずだ」とか
心で正面から取り組まない言い訳をたくさんつぶやいて、
満足していた。

でも、「今、ここで事を起こすことが最善だ」という直感を基に、
嵐のような心の抵抗に遭わずに、
行動に移せることはとても幸運なことだと思う。

ヨグマタジの瞑想でいただくエネルギーは
活動の力にもなり、お守りにもなるのだそうだ。
本当にそうだなあとますます実感が深まっている。


(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年05月02日 23時45分
「自分」というエゴ ~失敗から学んだこと~
今朝は、いつもより早起きできて、身支度も早めに整えられた。

台所でお弁当の準備を始めた夫に気持ちよく
「準備変わるから、早く出かけるといいよ~。」と話して、
いつもより早く夫が台所を離れて身支度を始めた。

すると、急に
自分の内側で真っ黒い台風のようなものがぐるぐる回り出した。
一言でいうと、「損した」という気持ち。
本当は時間があったら、あれもこれもしたかったのに、
夫に声をかけたばっかりに自分がやる羽目になってしまった、
みたいな気持ち。


気持ちよく声をかけたのに、なんでこんな思いが湧いてくるのかと
見つめていると、「自分」というエゴにたどり着いた。

ヨグマタジを思い、自分を手放そう、自分を捨てようと思うと、
すーっと気持ちが落ちついた。


出勤して、ばたばたと忙しくしていると、
いつの間にか「私の方がわかっている」みたいな
傲慢な自分になっている。

そんなとき、久しぶりに失敗をした。
他部署に交渉にいく上司に、事実と違う経過報告をしてしまい、
他部署から思っていた回答を得られなかったのだ。

それに気づいた時、やっぱり、
今朝感じた真っ黒な台風みたいなものがぐるぐる回り出した。
いい訳やら、いたたまれなさやらがぐるぐるまわった。

ああ、これが「自分」というエゴの正体なんだなあ、
「自分」というのは、こんなにも醜いものなんだなあと思った。
本気で、「自分」を手放したいと思った。ヨグマタジにお祈りした。



すると、すーっと急に軽やかですがすがしい気持ちになった。


その後は、「自分」は空っぽの入れ物なんだなあと思い、
マントラやヨグマタジに意識を向け続けた。


すると、その後開かれたある会議の中で、
一ヶ月間懸案となっていた案件が急に動き出すことになった。
それも、その原因となっていた方から、
こちらが望んでいた解決策を提案してくれる形で。

その滞りの原因となっていた方を意固地にさせていたのは、
私の「自分」というエゴだったのではないか、とふと思った。


その方は、帰り際もいつになく丁寧に挨拶して、帰宅された。

「自分」というエゴは、自分を苦しめているだけでなく、
周りの人も苦しめていたのかもしれないと、とても気づいた。


「身体」も「心」も、この世を去る時お返しする借り物なんだと
感じていたが、
「自分」も借り物なんだなあ・・となんとなく気づいた。

そう思うと、なんだか、自分の内側に
雲が晴れたような、さわやかな空気が満ちてきた。



(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年04月10日 23時58分
苦手な人がいなくなる不思議 ~すべては尊いプレゼント~
先日、有名なクレーマーが電話を掛けてきた。

私の担当している業務について、不満があるとのこと。
いろいろと苦情を話した後、
脅すように「これから合いに行く」と話された。

ヨグマタジに意識を合わせているので、怖くはなかったが、
電話を切った後もそのクレーマーのことを思うと、
いい気分はしなかった。

なんとなくすっきりしなかったが、ふと
「すべてはヨグマタジからの恩恵なんだ。
尊いプレゼントなんだ。」と思った。
すると、気持ちがすーっと晴れて、とても気分がよくなった。

後日、そのクレーマーの方が市役所を訪れた。
なんだか全然緊張せずに、むしろ
「ようこそ。待っていました。」というような気分で
対応に出向いた自分にちょっと驚いた。

近くにいた元上司の部長が心配して一緒に対応してくれた。

話はいろいろなことに及んだが、
最後には笑顔が混じるように、和んだ話し合いになった。

その方が帰られた後、元部長が
「ねぎ母さんはすばらしい!
的確な受け答えとよく整理された回答。
評定をまだつけられる立場だったら、最高点をつけるよ!!」と
とても褒めてくださった。

職場の先輩や部下からも
「よくあの方とあんな風に話せましたね。」と
とても褒めていただいた。

こんなに褒めてもらえるなんて、
あのクレーマーの方のおかげだなあと
なんだかとても感謝の気持ちになった。
クレーマーの方との話も、
いろいろなヒントや気づきもいただけた貴重なものだった。
ありがたいなあ、やっぱり
何でもヨグマタジからの尊いプレゼントなんだなあと、
すっきりと暖かい気持ちで感じている。

(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年03月27日 20時58分
ひとつひとつがつながる不思議 ~心の奥にあるもの~
卒園式の後、パンとヨグマタジの本のお礼を
たくさんの方から言っていただいた。

ヨグマタジとのご縁のきっかけになって、
私みたいに幸せな変化をたくさん経験してくれたらいいなあ・・と、
お礼をいただきながらとても思った。

時にあまりいい感じでない反応をされる方もいるけれど、
そういう時は本当にチャンス!
心からその反応とその人に感謝を捧げると、
自分の中のいろいろな心が見えてくる。

今回は、自分の中の、疑い・軽蔑・差別などの心が見えてきた。

これも本当の私じゃないんだなあ、いらないものなんだなあ、
いままでありがとう、もう帰っていいよ~と想いながら見つめると、
すーっと霧が晴れるように心がなくなって軽くなった。

そして、その心のさらに奥の深いところに、
ヨグマタジが大きな温かい光とともにいるのを感じた。
とても幸せな感覚だ。



今日、職場に久しぶりに
私が嫌悪感をいただているおじいさんがやってきた。
その人は地域でいろいろと取り組みを行っているが、
嘘をついて人の合意をとったり、
まわりに居る地域の人たちをいつもばかにしていて、
とてもいやな感じがしていた。

時々、その方を見かけることがあったが、
不思議なくらい見る度に弱っていくのがわかった。
ばちって当たるんだなあと思うくらい。

今日、その人の話を聞いているとき、
ふと昨日感じたヨグマタジと大きな暖かい光が
その人の奥にもあるのがなんとなくわかった。

そんな気持ちで話を聞いていたら、
その人がいつになくご機嫌で楽しそうに話を始めた。
以前みたいな人を軽視したり、差別したりする発言はでてこなかった。
最後には、「今年度もよろしくお願いします。」と頭を下げていかれた。
いつの間にか自分の中のその人への嫌悪感もなくなっていた。

ああ、全てのことはつながっているんだなあ、
ひとつひとつのことがつながっていくんだなあと思うと、
自分内側がなにかとっても爽やかに広がっていくのがわかった。


(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2014年03月01日 19時28分
ご縁のある全ての人が幸せになりますように ~祈りの力~
ご縁のある全ての人が幸せになりますように。

先日新しいガイドをヨグマタジからいただいてから、
自分の合い言葉になった。

このお祈りがいつも自然に自分の中に響いている。

そうだ!と思いついて、午後休暇をいただいて、
自分のお気に入りの街のお店に
ヨグマタジの講演会のチラシを置かせてもらいにいこう、と思った。


お天気もよく、楽しく出発。お昼過ぎに街についた。

チラシを置く場所がなくて・・というお店以外は
ほとんどのお店で気持ちよく置かせていただいた。
新刊をプレゼントしたら、みなさんとっても喜んでくれた。

靴屋さんでは、さっそくお店のガラス戸にちらしを張ってくれた。
みなさんの笑顔が忘れられないくらい。

いきつけのパン屋さんにも久しぶりに行った。
やっぱり気持ちよくチラシを置いていただいた。

お店の方がその場にいたお客さんにチラシを配ってくれて、
「ねぎ母さんはすごい経験をいろいろしているのよ」と紹介してくれた。
その場でいろいろ質問やら私の体験やらお話して大盛りあがり。
あっという間の1時間だった。

ヨグマタジのことをいろんな方にお伝えできるのは、
本当に幸せだなあと思った。
深いところの自分がとても喜んでいるのがわかる。


ヨグマタジのことを伝えるのは、自分のためなのよ、と
さらりとヨグマタジがお話されていたが、本当にそのとおりなのだ。

日々の瞑想もますますパワフルに充実してくるのがわかる。

ご縁のある全ての人が幸せになりますように。
祈りが自分の内側に響いている。


(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2014年02月24日 19時58分
感謝の力 ~♡失敗は成功の元♡~
昨日は、気持ちよ~くぼーっと電車に乗っているうちに、乗り過ごした。
ぎりぎりの電車に乗ったので、みごとに5分くらい遅刻しそう。

以前だったら絶対
「どうしよう、どうしよう」と不安になったり、
「もう一本前の電車に乗らなかったからだ」と自分を責めたり、
どうにもならないくらい、自分の内側がざわざわしたところだが、
びっくりするくらい自分の内側が静か。「あら~」くらい。

落ち着いて、職場に電話を入れた。
連絡する声も明るいのに、自分でびっくり☆
職場に向かう途中、以前の自分の感情がちらちら表れたが、
見ている内になくなった。

それより、
「これもヨグマタジからのプレゼントだなあ。
自分に必要な体験なんだなあ。ありがたいなあ。」と
自然に思っている自分がいる。

すごく変わったなあと、また自分の変化に気づかせていただいた。


職場に着いても、とても落ち着いていた。
以前だったら、言い訳をしたり、人の反応を気にしたり、
失敗を取り返すがごとく、まわりにPRするように頑張ったと思うが、
いつもと変わらない自分がいる。

それどころか、いつもより明るく軽い自分にびっくり。
まわりの方にお詫びとお礼を言った後、
周りの人に対してもいつもより優しい自分にも出会った。

懸案になっていた事項で、
相手の期待と反する返事をしなければいけないものが
いくつか溜まっていたのだが、
なぜか「今がタイミング」と思った。

次々連絡すると、とても相手の反応がいい。
逆に「よくやってくれてありがとう。」とまで言ってもらえた。

一日を終えて正直とってもいい一日だった。

感謝ってすごいなあと改めて実感し、
ヨグマタジの瞑想のお陰で
深いところからどんどん変容をいただいている自分を
とても幸せに感じた。


(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2014年01月13日 20時02分
髪も瞑想も根元から!? ~美容院で納得(^_^)v~
今日は美容院に出かけた。

行きつけの美容師さんはカットがとっても上手。
そしていつも髪についてちょっと哲学的なお話をしてくれる。


「髪を乾かすときのコツは根元から。
根元が頭の形に沿ってちゃんと乾いていると、
後はきっちり形を保ってくれる。
寝癖で髪が跳ねたときも、
跳ねた毛先だけを直そうとしても駄目。
根元を見つけて、そこを頭の形に沿って立ち上げると、
ちゃんと寝癖は直ります。」

「なるほど!」と納得するとともに、
「これって瞑想とおんなじだ!」と思った。

髪で言う根元をきちんと立ち上げる行為が瞑想。
ちゃんと瞑想すると後でどんな風が吹いても、
ちゃんと一番いい方向に収まっていく。



否定的な現象が起きたときも、
その現象をどうにかしようとして四苦八苦しようとしても駄目。
瞑想やセミナーを通じて
その原因となるものを取り除いて、
いい方向付けをして、そして否定的な現象が消えていく。

法則って意外となんでも一緒なんだよなあ!とものすごく納得した。



ちなみに、美容院で待つ間に、
いろんな自分の心の動きも見つめることができた。


例えば”ごまかす”という心には、
それを正当化しようとする心があり、
その奥には、
”ごまかす”がないとうまくいかなくなるという思い込みの心配があり、
その奥には
”ごまかす”ことを嫌悪する心があった。

ひとつひとつ感謝でみつめて、
心がヨグマタジのところに帰って行かれますようにと
お祈りしているうちに、心は消えて、ものすごくスッキリした。

髪型も、心もスッキリ。
ヨグマタジと美容師さんに感謝、感謝だ(^_^)v



(追伸)美容院でみた婦人誌に
アメリカで超人気のモデルさんが、
瞑想をしているという記事が掲載されていた。
容姿はとても愛らしいが、内側がとてもしっかりしている方だそうで、
彼女の影響で、2014年は瞑想が流行りそうと書いてあった。
家庭画報新春特大号と2月号の
ヨグマタジとヘア・メイクアーチストの藤原美智子さんとの
瞑想の対談もとってもよかった!
藤原さんがヨグマタジのディクシャをいただき
瞑想を始めた感想も◎。
まだ読んでいない方はぜひ読んでみてくださいね。

(ねぎ母)

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2013年12月28日 08時30分
めっちゃ力持ちな私( ^o^)ノ ~身体がなくなる感覚の不思議~

ヨグマタジの瞑想を始めさせていただいて、
身体も心もどんどん軽くしていただいている私は、
なんだかどんどん力持ちにもなっています☆



脊髄損傷の後遺症の痛みがまだまだあるときでさえ、
重たい荷物をひょいっ♪と持ち上げられたし
(まわりから『やめてぇ~(T_T)』と言われていましたが(*^_^*))、
すっかり後遺症もなくなった今では、
ますます力持ちを発揮しています。

昨日も、年末最後の出勤の後、
ホームベーカリー用の小麦粉5kgやお正月用の食材やら
たくさん買い込んで両手に大荷物。
「うー、手がちぎれそう(~o~)」と一瞬思ったくらい。

でも、ヨグマタジがおっしゃっていた
「心も身体も神様からお借りしているものです。
中心にある魂は神様と同じものです。」
というメッセージがふーっと浮かぶと、
まるで身体がなくなってしまったように軽くなり、
重さが全然気にならなくなります。顔も自然と笑顔に。



保育園と学童に子どもたちを迎えに行き、
「お母さんこんなに重い荷物を持って帰ってきたよぉ~」とちょっと自慢。家に帰って体重計で重さを量ったら、12kgありました

そういえば、以前
ヨグマタジの事務所のスタッフの方から伺ったのですが、
ヨグマタジがインドから帰国される際、
「はい、お土産!」と軽く手渡された荷物がものすごく重くて
(中には象の銅像が入っていたそうです。)度肝を抜かれたそう。
その方は体育大学を出ていて
体力にはとても自信があるそうですが、
「どうやって空港からここまで運ばれてきたのだろう」と
とても不思議に思うくらいの
とても一人では持てない重さ。
「そういうことが結構あるんですよ~」と教えていただいて
わーヨグマタジってすごい力持ちなんだなあと
思ったことを思い出しました。



火事場の馬鹿力っていうのがあるけれど、
あれこれ思い煩わなければ、
無限の力が引き出せるというは、
やっぱり本当なんだろうなあって納得しました。

今日から我が家も年末の大掃除。力持ちを発揮します☆

(ねぎ母)

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2013年12月23日 23時22分
ガイドをいただくことの心強さ ~ある会員さんの体験談より~
おとといと昨日は、月一回のインストラクターコースの受講日。

本当に毎回すばらしいプログラムに参加させていただき、
ものすごくリフレッシュ&パワフルに
変化する自分がとても楽しです。



今回は2日目の午前中に、ヨグマタジのダルシャン(ご講話会)があり、
プログラムの一環として参加させていただきました。

ご講話も本当にすばらしくて、
直接お会いしてお話を伺うだけで
ものすごく力をいただいていることがとてもよくわかります。

なんといっても、帰り道の心と身体の軽いことと言ったら!
もうびっくりな感じなのです。
(子どもたちと一緒に来た時は、みんな自然にスキップしています(*^_^*))


今回は、講演会の前段に、ある会員さんが話してくださった
体験談もとーっても良かったので、書かせていただくことにしました。

その方は、地方の公務員の方でお仕事柄、
福祉体験ということで、盲目の方とそのガイドをする方の役割を
擬似的に体験する機会があったそうです。

始めはガイドをする側に。
とても時間がかかるだろうと思われた道程だったのが、
スムーズに時間よりも早く到着できたとのこと。

終わってから盲目役をされていた方が、
「ガイドにしっかりとついていくとどんどん進める。
少しでも自分の力で動こうとするととてもこわくなって動けなくなる。」
とお話されたとのこと。

その方も次に盲目役をしてその意味がとてもよくわかったとのこと。
「ガイドを信頼してただそこに委ねてついて行くだけでいい。」
その体験を通じて、
ヨグマタジからガイドをいただいている有難さや、
ただ信頼して委ねて進めばいいこと、
我を出すと返って苦しみを生じることなど、
いろいろと重なって思えてとても納得されたとのこと。



わーすごいわかりやすいなあ!と私もとても納得しました。

ヨグマタジのおっしゃることは
時に自分の常識や思考の範囲を超えていることがありますが、
そんなときも「ヨグマタジがおっしゃられることだから
とにかく進めてみよう」と続けてみると、
後になって、そのときのその判断がとても正しかったことがわかる
という体験を私もとてもたくさんしてきました。



私たちには全然見えていなくても、
ヨグマタジのレベルからは、
本当によく見えていらっしゃるんだなあ。
いままで暗闇の中おっかなびっくり
あちこちにぶつかり傷つきながら生きていた自分が、
ヨグマタジのガイドの中で安心して楽しく自分らしく
日々を過ごせる有難さに、
手を合わせたい気持ちになりました。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年11月26日 23時22分
自分を否定しないということ ~どんな小さなこともO.Kに~
最近、気がついたのは、
「躾けよう」「導こう」「教えよう」とする意識が働く時、
大前提として、相手の今の状態を否定し、
「今がだめだからもっと良くなるように」と思っているということだ。

そんなとき、なんだか子どもとの関係がうまくいかない。
(大人に対しても同じだが。)

相手も抵抗して苦しそうだし、自分もイヤな気持ちがして苦しい。

瞑想を8年続けさせていただいて、
やっと最近、
みんなが本当に大事な純粋な神様のような存在であることを
理解できはじめてきた。

否定するなんてとんでもない、
みんながそのままで、すばらしい存在なのだ。

そう思うとき、じゃあ社会に迷惑をかけるような人も
大事な存在なの?という問いが出てくる。

私がこのところ気づいたのは、
一見社会に迷惑をかけていない人でも、
心の力で行動している場合は、
やっぱり多かれ少なかれ、
社会に迷惑をかけているんじゃないかということだ。

一見善人でも、自分でも気づかないところで、
他人を否定して、他人を傷つけて生きていないか、
そんな相手の存在を否定する思いを「正しいこと」として
堂々とやっていないか、
そんな思いが、
社会に迷惑をかける人々を再生産しているのではないか・・・。

そして、気づいたのは、
相手を否定する思いは必ず自分を否定する思いとセットである
ということだ。

相手にこうじゃなきゃいけないと思い込んでいる自分というのは、
自分に対してもこうじゃなきゃいけないと縛りをかけ、
そうでない自分を否定している。

だれもが大事な純粋な神様のような存在であるのだ。

そう気づいてから、自分への否定がとても減った。
それまでは、自分を否定していることも全然気づかなかった。

でも、そうなってみて初めて、
自分内側にひろがる
まるですがすがしい高原の朝靄の中を散歩しているような
爽やかな空気が細胞のひとつひとつに広がるような幸福感を
味わって初めて、
いままでいかに、
自分を否定することで自分を曇らせていたかに気づいた。

本当に自分も
本当の存在は大事な純粋な神様のような存在であるのだ。

そのことを理解するには、
心を超えた瞑想の力が必ず必要であることもとても理解できてきた。

一人でも多くの方々がヨグマタジの瞑想に出会われることが、
必ず本当の意味でみんなが幸せになる道であると、
このところさらにとても強く感じている。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年11月01日 23時22分
ヨグマタジからいただいた心に響いた言葉 (*^_^*)
「すべてはすばらしい恩恵です。すべての現象に感謝します」

ジャッジする癖が少しづつ落ち着いてきたころに、
ヨグマタジからいただいた言葉です。

正直、目から鱗が落ちました。
「わ~、全部に感謝していいんだぁ!」と。



無意識に”良いこと”、”悪いこと”を区別してしまう私は、
そうしないと、”良いこと”が伸びずに
”悪いこと”がはびこると思っていました。
だから、”悪い”と思ったことはどうにかしようと、
いろいろと策を講じていたのです。

でも、”悪い”と思った瞬間にそれを否定する心が働く。
するとかえってその”悪い現象”に捕らわれてしまい、
それと一緒になってしまっていた自分に気づきました。



全部を感謝すると、
”悪い”と思っていたことも、ただの現象の一つであることが、
客観的に冷静に理解できます。
すると、次の対処の方法がとてもすんなりと思い浮かび、
適切な行動がとれます。
心は温かく穏やかなままで。

これは、ヨグマタジの「カルマを信じなさい」と
いう言葉にも通じのかなあと思いますが、
自分に起きていることは、
本当になにひとつ無駄がなく、
私が成長するために大自然がくださっている尊い恩恵である、
というこのことなんだろうなあと思います。



いつもぴったりのタイミングで
ぴったりのお言葉をいただける奇跡に
すごく感謝の思いでいっぱいです。



(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年10月19日 23時22分
 信じる力の体験学習 ~思いと体の関係を実感♬~
先日、部長の推薦で、”気”について研究しているNPOから
職場活性化の研修で講義を受けた。

都合で途中退席したので、前半少しの体験だったが、
とても面白い体験をした。

一人が頭に片手を当てて、もう一人がそれを剥がそうとする。

始めはそれを力で剥がされまいと抵抗する。
次は、剥がされまいと抵抗する側の人が
「頭に当てている片手が頭と一体になっている」と思うだけ。

文字だけでみると
始めやり方の力で抵抗した方が
うんと抵抗する力がでるように感じるが、
実は、頭と手が一体になっていると思っているだけの方が、
明らかに強い力がでる。

思いの力ってこんなに強いんだなあと改めて実感した。

瞑想者は悪い思いを持ってはいけない、と
ヨグマタジがお話されていた言葉を思い出した。

その研修の講師も「信じることが大切なんです。
心が体に強い影響をあたえるんです。」とのこと。

ヨグマタジからいただいているメッセージの奥深さを
改めてひしひしと感じた。
やっぱり、ヨグマタジがいつも言われているように、
いつも守られていて、力をいただいているんだなあと
ふと思うと、
ものすごいキラキラしたエネルギーで
自分が満たされていくのをいつも以上にはっきりと感じた。

いつも以上に足取りの軽い帰り道だった。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年09月07日 23時22分
人間の内側にある大自然の力 ~ある偶然からの発見~
先日、次男(小5)が洗濯物を洗ってくれた。
が、30回くらいは使える洗剤量の入ったボトルの内、
一回で三分の一も洗剤を使ったことが判明^^;
つい、必要以上に責めた言い方をしてしまった。

せっかくお手伝いをしようと張り切ってくれていた
次男の目から悲しそうな涙があふれた瞬間、
急にバケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降り始めた。

誰かが言っていた
「この世に偶然はありません。」
という言葉が頭に浮かんだ。

なんだか、この土砂降りの雨が、
息子のくやしく悲しい気持ちを表したような気がして
すぐ反省し、夜は仲直りして眠った。

夜中降り続いた土砂降りは、
次の日の朝になってもぜんぜん止む気配がない。
小学校も中学校も臨時休校になった。

夫が会社を休んでくれる事になり、
カッパを着て大きな傘をさして、駅に向かった。

いつもの道がまるで川になったような状態だった。

ふと、昨日の次男の顔を思い出したら、
この雨が多くの人の悲しさや悔しさの現れのように感じた。

そうしたら、自分もなんだか涙が溢れてくるようで、
人を傷つける行為は本当にしたくない、と思った。
自然に、ヨグマタジに
これからはもう二度と
人を傷つける行為をしないでいられますように
と自分にできる精一杯で深く深く祈った。


その瞬間、いままで土砂降りだった雨がぴたりと止んだ。

びっくりした。



「この世に偶然はありません。」
という言葉がまた頭に浮かんだ。

そのとき、わかった。
きっと本当に
人間の内側にはものすごい力が
備わっているんだ。

それは、
大自然のエネルギーと
同じくらいすごい。


ひとりの意識なんて小さい・・・・て思っていたが、
ひとりの意識のが変わることが
本当にものすごい力になるんだ、と思った。


その日は一日、
自分の内側の大自然の神様に
手を合わせるようなそんな気持ちが続いた。

なんだか、
胸の内側が
すごく大きくなったような感じだった。

その後、雨はぱらぱらと時々降る以外は
一日全く降らなかった。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年08月28日 23時22分
生きようとすること ~本当のパワーはどこから来る?~
今日は子供たちの夏休み最終日。
昨日の仕事が順調に進み、今日は夏休みをいただけることになった。

子供たちが最後の宿題の追い込みをするなか、
ふと気が緩んだ私は、あることに気づいた。

疲れた~と感じるとき、目を中心として顔にぐっと力が入る癖だ。

昨日は遅くまで残業をしていたせいか、
少しだるさを感じていたが、
そのだるさに気持ちが行くと、
顔にぎゅーっと力が入っている。
おもしろいなあと思った。

こういうとき、
そこから逃れよう、それを止めようと思うと
ますます力が入るので、
いつもしているように、
その状況に対して
できるだけ精一杯の感謝を
ヨグマタジを想いながら想った。

すると、このぎゅーっは、
生きようといしている姿なんだと理解できた。

そういえば、
しわができたなあとか白髪があるなあとか
老いてきたなあなんて思っているときも、
顔にぎゅーっと力が入っている。

現象にぎゅーっと抵抗することで生きようとしているんだ。

それならば!答えは簡単。
本当に生きようとするパワーは、
抵抗からではなく、感謝やたっぷりの愛からでるんだ。

”疲れた~”の状態でも、
深いところでは感謝と愛でいっぱいなんだって
いうところに想いを寄せると、
”疲れた~”がどんどん癒やされていくことがわかる。

こんな体験をすると、本当に人間って
愛の海の中で生かされているんだなあと実感が深まる。

いつの間にか”疲れた~”から、パワーに満ちた自分に帰っている。

面白くて有り難いなあって思う。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年06月20日 23時22分
絶対に大丈夫! ~全ては良くなっていく一つの過程 ~
自分の中がどんよりして、なんだかだるい時、
それは、間違いなく感謝に気持ちが行っていないときだ。

体のだるさに気持ちがいっていたり、
自分の置かれた状況だったり、境遇だったりに気持ちがいっていて、
自分の否定的な考えと一体になっている。


ありがたいなあっていう
感謝に思いをはせると、とたんに体が軽くなり、心が軽くなる。
その感謝をヨグマタジへの感謝にすると、
ますます安定して喜びに満ちた感謝になる。



今まで、自分を否定することで、自分を奮い立たせ、
そのことで、自分も状況も向上させていかれるような
気がしていた自分が見えた。

否定することからは、実は否定的な結果しか生まれないこと、
否定することで、相手や自分を頑張らせたり
無理させたりすることは、
本当の意味で
相手や自分の能力を引き出しているのではないことも見えてきた。



それでも、否定的に捕らえてしまう事柄や状況があることに、
少し落ち込みそうになったとき、その時、ぴーんとひらめいた。
どんなことでも、全ては良くなっていくための
一つの過程であるんだ、と。

ヨグマタジがついていてくれるから、絶対大丈夫なんだと、
自然に思えた。どんな状況もきっと良くなっていくんだと。

そしたら、まるで自分の中の太陽が顔を出したように、
明るく晴れやかになって、元気がでてきた。



そんな気持ちでいたら、夕方の空に大きな虹を見た。

(ねぎ母)







 
カテゴリー:日記
2013年03月03日 23時22分
強制するということ ~エゴの押し付けから、見守る強さへ~
1月中旬に、ショート合宿という
3日間の泊りがけのプログラムに参加した。

本当にすばらしいプログラムで、
たくさんの気づきや変化をいただいた。

体も首回りやうでのどーんとした重さがすっきりとれた。
(とれてみて初めて「重かったんだ!」と気が付いた(*^_^*)

心もますます軽やかになって、自分の中の平和の祈りが
とても深くなったように感じている。
ますます、日々の生活も順調だ。


たっぷりと恩恵をいただいた中で、
今回特に自分が変わった!と思うのは、
強制する心も、必要ないものだと
はっきりと理解できたことだ。

3息子を育てる中で、
感情的に怒ったり、
いらいらをぶつけることはなくなっていたが、
しつけとして、”強制する”ということは
必要なことだと思っていた。

だから、
「○○できていない。」とか
「△△はいつも言っているのになぜできないの!」
という言葉は
いつも口から出ていた。



プログラムの中のワークの中で、
対面である方とお話ししている時、
相手の方が
「母さんは本当に私を愛していたのですか?
いつも私は寂しかったです。」
と話された言葉を聞いて、
訳もわからずただただ涙がとまらなくなった。

私は、しつけと称して、
自分の理想を相手に押し付けようとしていたのではないか?
今の子供を消して、
自分の理想の子供になることを
強制しようとしていたにすぎないのではないか?
と深く思った。



ヨグマタジがご講話の中で、
「ヨグマタに命令してほしいという人がいるけれど、
私は命令はしないのよ。
命令されてやっても
結局”やらされている”という思いになるだけだから。
自分で気づかなければ、
本当には変われないものなのよ。」と。

相手を否定して、
自分の理想の姿になることこそが、
相手にとって幸せだと思い込んでいたこと。
そして、相手を、命令して、強制して、責めても
結局は相手は変われないこと。
結局相手を傷つけるだけの行為だったのではないか・・・。



合宿から帰ってきてから、
子どもたちへの自分の思いが
全く変わっていて自分でもびっくりした。



例えば
息子から「おまえは・・」などと言われようものなら、
以前は、
それ以上の強い口調で息子を責め、謝らせていたのが、
穏やかに「親にそういう言い方はだめだよ。」と話せたり、
聞き流せたりできるようになっていた。

以前の自分は、息子からそういう言葉を投げられた時、
このまま悪い方向に進んでしまうのではないかという不安や恐怖、
そして
親としてなめられてはいけないというプライドや意地など
いろいろな思いが湧いてきていたことに気付いた。

でも今は、
とても自分の中が穏やかで、
そういう言葉が投げられても、
以前のような心配や意地などがでてこない。
暖かく見守っているような思いだ。



以前息子とやり合うと
1日くらいは気まずい感じになっていたが、
今はものの15分もしないうちに、
何事もなかったように「お母さ~ん」と息子が話かけてきてくれる。
心が通じ合うというのは、
こういうことなのかもしれないととても感じている。

(ねぎ母)




 
カテゴリー:日記
2012年12月15日 23時22分
裁かれていないということ。完全に平等に愛されていること。
 ~私を元気にしてくれる気づき~

1か月くらい前、ヨグマタジの
”幸せを呼ぶヒマラヤ大聖者108の言葉〈宝島社〉”を読んでいた時、
ものすごく自分の中で響く言葉があった。

「あなたを行かしめている大いなる存在は、あなたを裁きません。」
(第5章 真実のあなたを知る愛の言葉p229)

すごく心が楽になった気がした。
たとえ、表面上だれかに、何かを裁かれていたとしても、
大いなる存在は私を裁いていないのだ・・・。
深い部分で深い安心を得たような気持ちになった。



それから、
「あなたは、存在から愛されています。
信頼は、そこに意識を向け、愛を受けとることです。
源の存在も、マスターも、みなさん一人ひとりを愛しているのですよ。」
(第5章 真実のあなたを知る愛の言葉p247)



私たちはどんな人も、どんな状況の人も、
どんなカルマの人もみんな平等に
もの凄く深く愛されているんだなあ。
深い部分はみんな同じように尊くて、すばらしくて、
みんな差がないんだなあ、同じなんだなあと気づいた。
そして、また、背伸びをしなくていい、
暖かいものに包まれたような感覚になった。



この2つの気づきが自分に訪れてから、なぜか長男がとても変わった。
瞑想を始めてから随分穏やかになってきたが、
さらに、余裕のでた穏やかさに変わってきた。



「でも、まず自分がわかることで家族が変わりはじめます。
家族の病気が快復したり、問題がなくなってくるのです。
そのことに直接の手立てをしなくても、です。」
(第2章 心を落ち着かせる言葉p79)

まさに、そのとおりだなあと思った。
本当に、一番大切なのは、
自分の内側の変容なのだなあと改めて感じた。



さりげなく自然に大切な気づきをくださるヨグマタジに感謝です。
(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記
2012年10月21日 23時43分
許されているということ ~勇気と自信のスイッチ~

ヨグマタジのご講話を伺うと、いつもいろいろな気づきがある。

先日伺ったお話しの中で印象的だったのが、愛についてのお話し。

ある会員さんが、「男女の愛は永遠だというけれど、ほんとうですか?」
と質問された。

それに対してヨグマタジは
「肉体が好き、というようなレベルの愛であれば、
肉体がなくなれば、執着で悲しいかもしれないけれど、
それまでになってしまう。
もっと本質的な愛であれば、そうではない。」
とおっしゃっていました。

続いてその会員さんが、
「本質的な愛とはどんな愛ですか?」と聞いたとき、
ヨグマタジは、「許す愛です。」と答えられていた。

それを聞いて、正直軽いショックを受けた。

許す愛・・。
自分のものにしたかったり、
自分の理想の姿になってほしかったり、
自分が、自分がの思いは
やっぱり本質的な愛じゃないんだ・・って。

その時ふと、
先月出版された宝島社
「幸せを呼ぶ ヒマラヤ大聖者 108のことば」にあった
ワンフレーズが頭に浮かんだ。

「あなたを生かしめている大いなる存在は、あなたを裁きません。」


ああ、本当に私は深いところで、完全に許されているんだあ・・・

過去も未来も、
他の全ての人もみんな、
許されているという愛に包まれているんだあって
深く思ったその瞬間、
自分の中に、
自分を肯定するスイッチ、
自分の存在を肯定し、
それが、
自分への自信と勇気につながるようなスイッチが
キュッと入ったように感じた。

それに気づいてから、自分が人を見る目がまた変わった。

人に対しても自分に対しても、
より肯定的に、より優しい気持ちが
すっと出てくる気がする。

これからの日常生活がまたまた楽しみになった。

(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記
2012年09月23日 22時43分
満足するということ ~責める自分から、感謝する自分へ~

満足するということは、物事を向上させるパワーを失うことだと
いつの頃からか、思い込んでいた。

だから、何事にも、ダメな点をみつけようとして、
それをみつけては、それをけなし、それを責め、
努力でそれを亡き者にしようと必死になっていた。

それが、成長することだと思っていた。

満足してしまったら、そこに依存してしまって、
それ以上進めなくなるように
感じていたからかもしれない。


瞑想を始めさせていただいて、ようやく、その思い込みが
外れてきた。


満足するということは、感謝することの大前提なのだ。
満足して、そこに依存するのではなく、
満足して、そのことを感謝していく。

全ては、そこから、始まっていく、ということが
ようやくわかり始めてきた。



そう思うようになってから、一番激変したのが、子供たちとの関係だ。

子供たちについて、そのままでいいんだ、と
頭で考えて、そう行動しようと思っても、
どうしても、そのままでいいと深く思えない自分がいる。

それは、満足することをわたしが拒否していたからだった。

元気で、陽気で生活できていること自体が
本当に、満足すべきことで、感謝すべきことなんだ!



そう思えるようになってから、
子供たちは、さらにいろいろなことに
意欲的に取り組むようになったのを感じている。

母の満足と感謝の思いが、
彼ら、子供たちに、
肯定されている安心感と自信を与えたのかもしれない。

いつも、深い気づきと、実際の変容を与えてくださる、
ヨグマタジに感謝です。

(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記

2012年08月28日 21時43分
マスターを持つということ ~どんなことでも、指導者って大事!~

先日、会員さん向けの特別ダルシャンに参加して、
とーっても気づいたことがあります。

それは、ちゃんとした指導者、マスターを持っているということは、
本当にめちゃめちゃ幸せなことなんだっ!ということです。

職場の先輩からお子さんの指導者、マスターの件で
お話を伺ったことがあります。

その方のお子さんはテニスを習っていて、とっても上手だったらしく、
さらに上達するためには、もっと上級の指導者に習わなくては!
ということで、プロを育てた指導者を探して、
待って、やっと教えてもらえるようになって、
そしてものすごく上達したそうです。

やっぱり指導者って本当に大事ですよね、と
お互い大きくうなずきながらお話しをしました。
(ちなみに、その指導者の指導料は、一年で1,000万円だそうです!
本当は、一年で2,000万円の方に教わりたかったそうですが。)



瞑想は、こころもからだもスピリットも、きれいに元気にしてくれる、
そんな深いのを実践するのに、
本当にものすごい最高の指導者に出会えたことは、
ほんとうにびっくりするほどラッキーなことなんだなあと
改めて思いました。

例え「感謝をする」というようなふつうのことも、
すばらしい指導者がいるからこそ、そこに安心して集中して、
深めていくことができる。


本当にヨグマタジがマスターになって、大切なことや、大切なものを
しっかりと伝えてくださることをとっても有難く思いました。





(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記

2012年04月08日 17時00分
体は疲れても ~こころの奥深くが喜ぶ♡生き方~
    ヨグマタジの瞑想を始めてから、次第に体力・気力がつき、
   日常生活で疲れるという感じが本当になくなってきた。

              
    以前の私は、小さい時から、どこかすっきりしない、だるい
   感覚が日常にあり、自分は体力がないものと思い込んできた。


    だから、体を使うことには、若いころから人一倍敏感で、できる
   だけ体にいいこと以外はしたくないと思っていた。
    もちろん、徹夜はしないし、お酒もたばこもしない。
    とにかくのんびりするのが好きだった。

            
             
    日常生活では、体力をセーブすることにばかり意識がいって
   いたので、人よりいかに少なく仕事をするか、といつも考えていた
   ように思う。

    でも、今は、本当に気持ちよく(無理してるわけじゃなく)、人の
   ための仕事も率先してできるようになった。
       
    それは、「そうすべき」、とか、「そうした方が良く思われる」、と
   かいうのじゃなくて、”人のためだけど本当は自分のためにさせ
   てもらっているんだ”というような感覚。なので、全然いやじゃな
   いし、疲れない。


    この春に職場の異動があったり、義母が体調をくずしたりで、
   3月末から4月始めは本当に忙しかった。
    睡眠も3~4時間で食事もほとんど食べずな時もあったり。

    でもでも、本当によく動けて自分でもびっくり。
      
    

    途中、身体がとってもだるくなったことがあったが、その時も
   「からだは疲れているけど、人のために時間を過ごせて本当に
   良かった!」と思わず口に出した自分の言葉にまたまたびっくり。

    以前の私だったら、絶対ぐちをいっている場面だったからだ。


      

    瞑想のおかげで、からだの回復はすぐできるようになった。
   そして、気持ちもすっきり軽くなったおかげで、本当に快適な毎日!

    すばらしいヨグマタジと瞑想にたくさんの人が出会って、みんな
   元気になってほしい!と思う。

   (ねぎ母)
カテゴリー:日記
2012年04月03日 05時00分
そのままでいい ~今のあなたを愛しています~
 最近とても気づくのは、
自分が固くなる時、
それは、”このままの自分でない、
なにか別の自分になろう”としている時だ。

 人前に出た時、評価を受ける時、いつもと違う特別な場面の時、
固くなりそうになる自分がわかる。

            

 ”そうだ。このままの自分でいいんだ。
全てを、自分のマスターであるヨグマタジにお任せしよう。”
そう思うとふーっと力が抜ける。

 長い間、なかなかこのままの自分を愛せずに、
なにか別の自分になろうなろう、としてきた私は、
つい他人にもそれを要求してしまう癖がある。

 特に身近な人だったり、気に入った人には、
つい、それを求めてしまうことに気づく。


 最近になってやっと子供たちのことも、
「このままの彼らでいいんだ。今も大切な過程なんだ。」と
深く思えるようになってきた。
 
 『カンフーパンダ』(アニメーション映画;ドリームワーカーズ)の
シーフー老子も、孫弟子を育てることに悩んでいた直弟子に、
「桃の木に、柿やリンゴは生りません。ただ信じて育てるのです。」と
言っていたが、全くそのとおりと思う。


 どんなあなたでも、本当はとても愛している自分に気づく。
今のあなたを否定して、別のあなたに変えたがっている自分は、
結局は、自分の価値観にあなたを縛り付けたいだけなのだ。

 今のあなたが、どんなに自分の価値観にそぐわずに、
仮に私に迷惑をかけるようなことがあっても、
それはそれでいいに違いない。
 だって、やっぱりそのままの、
今という通過点にいるあなたを
とても愛しているから。
自分の価値観なんて本当はちっぽけなもののような気がする。
           (次男5歳の時の絵です)

 そう思うと、体もこころもとーっても暖かく、嬉しく、幸せになる。
 マスターは、いつも私たちをそう思って見守ってくれているに違いない。そう思うとますます暖かく、嬉しく、幸せになる。

(ねぎ母)
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2012年03月26日 23時00分
感謝のパワー ~本気の感謝は無敵のパワー!~
 ヨグマタジに出会う前の自分は、”感謝”ということが
いまいちピンときていなかった。

うまくいったのは、自分が頑張った成果。
だから、誰かが私に、”ありがとう”と言ってくれるのが、当たり前で、
そうじゃない時は、「なんで、ほめてくれないの?」と不満に思っていた。 

ヨグマタジに出会って瞑想を始めさせていただいてから、
上手くいったときも、素直に「ヨグマタジ、ありがとう!」と
思えるようになった。
そう思えると、「自分の手柄。」と思うより、
自分の内側がとっても軽くて気持ちがいい。
    


感謝することの意味がすこしづつ理解でき始めていた3年前。
脊髄損傷の事故にあった。(詳細は、「思い出」に掲載中です。)


気が狂いそうな激痛の中、ヨグマタジに意識を合わせることで、
気持ちを穏やかに、”きっと大丈夫”、という
前向きな思いを持ち続けていられた。
お蔭で、少しづつ痛みも減ってきていた。

 

それでも、夜、こどもたちを寝かせる支度も整い、
後は寝るだけというような時、ふと、気がゆるんで
自分自身が痛みに巻き込まれてしまうことが、あった。 



痛い、痛いと騒ぐ私に、当時小学校4年生だった長男が、
「おかあさん、そういうときは、『痛い』じゃなくて、『ありがとう』でしょ!」
と、いかにも当たり前という感じで、あっさりと言ってくれた。



それはその通りだと思い、『痛い』と言うかわりに、
『ありがとう』と口にすると、確かに気持ちが落ち着いた。
こどもたちにお礼を言って、おやすみなさい・・・。


こういうことが、その後も時々あった。
その度、長男が冷静にコメントしてくれて、気持ちをもとに戻せた。


同じようなことを時々繰り返し、それが4回目か、5回目になったある日、息子がびしっと、私に言ってくれた一言があった。

「おかあさん、ありがとうは、いい加減に言っちゃダメだよ。
一生懸命言わなきゃ。」



正直、目から鱗だった。
それまで、私は「ありがとう」とは言っていても、本当に
この事故について、痛みについて、
「ありがとう」と思っていなかったし、感謝もしていなかったのだ。

この時、初めて、
事故にあったことや痛みのことについて、
自分にできる最大限の感謝を、心の中で、ヨグマタジにお伝えした。



次の日、朝、目が覚めて驚いた。
いつも、薄皮を剥くようにしか、減っていかない痛みが、
びっくりするほど格段に軽くなっていた。

「本気の感謝のパワーは本当にすごい!!」と実感した。

それからは、たいへんなこと、いやなことに出くわした時も、
できるだけ深く感謝して、ありがとうございます!
と思うようにしている。


すると、たいへんなことやいやなことが起きた理由を、
早く自分の中で気づけて、早くその状況が変化していく。

さらには、たいへんなことやいやなことほど、
気づきが大きく、自分が大きく変われる
チャンスじゃないか
と思えてきた。

感謝の醍醐味に気づかせてくださったヨグマタジに
感謝、感謝です!!

(ねぎ母)

カテゴリー:日記

2012年03月11日 06時00分
「今」が変わると、「過去」も変わる、ということ。
  今が変わると、未来が変わり、そして過去も変わってくる・・・。
  初めてそのことを聞いた時、正直ぜんぜんピンときていなかった。

  未来はわかるけど、過去って変わるの?!事実は、変わらないよ
 ねえ?!


  今が変わると過去も変わるということを初めて実感できたのは、ヨ
 グマタジのセミナーに参加させていただいた時のこと。

  ワークショップや瞑想の過程で、過去に対する自分の見方がすっ
 かり変わった。あんなに思い煩っていた過去のことが、自分の中で
 いい思い出に変わっていた。

  すると、とっても自分が軽くなり、過去のその思い出に引きずられ
 なくなっている。


  私たちの中にある「過去」は、ただ事実としてあるのでなく、その時
 の感情や思いが一緒に記憶されていて、その感情や思いを整理して
 きれいにしていくことで、私たちの中にある「過去」は、いままでとは
 全く違うものになるのだ、ということがわかった。


  昨日は、10年ぶりくらいに、入職当時の部署の集まりに出掛けた。
  当時私は、その部署の人達がちょっと苦手だった。当時、真面目でお ふざけが苦手な私と、正反対に、にぎやかで下ネタを大声で話すような
 先輩たち。
  当然、飲み会に誘われても、理由をつけてずっと断っていた。

  その部署でお世話になった方たちの退職祝いということで、久し
 ぶりに声を掛けてもらった。
  以前と違い、素直に嬉しいなあと思う自分がいた。

        
  当日、ちょっと会議が伸びて会に遅れてしまい、昔、その人たち
 に馴染めなかった時の緊張感を思い出す。

  ヨグマタジを想い、緊張を和らげて、会場へ。

                  
  びっくりしたのは、その部署の方々に対する、私の中の過去の苦
 手感が全くなくなっていたこと。
  部署の人達も、私を大歓迎してくれて、「昔から、人気者だったよ
 ね!」というような雰囲気。なんだか、過去の記憶が新しく刷り直されて いる感じだった。

  おふざけで大騒ぎな人達も、元気で楽しいひとたちなんだなあ、と
 笑ってみている自分がいる。昔、ほとんど話さなかったひとたちとも、
 「前もよく話してたよね~。」という感じでたくさん話しをした。
             
  本当に楽しい会だった。そして、本当にヨグマタジに、たーくさんの
 変容をいただいていたことを改めて深く実感した。


  ヨグマタジにお力をいただくと、本気になれば、なんでもリセットで
 きちゃうんだなあと、安心と信頼がますます深まった夜だった。
  (ねぎ母)





カテゴリー:日記

2012年03月10日 21時00分
受け入れるという難しさ ~いいことも、よくないことも、ありがとう♡~
  思い返せば、いつの頃からか、ほめられることがとても苦手だった。



  母にいつもしかられてばかりいて、ほめられ慣れていなかったから
 かもしれない。
  それは、普通に考えると、肯定的に話してもいいこと、例えば、父は
 大学教授で、大学の理事でもあったが、そのことなども人に話すこと
 が、とてもニガテだった。


  今思えば、昔の自分は、自分の中心に自己否定があって、それに
 そぐわない状況は、居心地が悪くて、否定したくなる。そんな感じだっ
 たようにおもう。

           

  母も自己否定が強い人だったから、自分のここが嫌だ、他人のここ
 が嫌いだとよく言っていた。
  私も母から、「顔がかわいくない。」などと言われていたので、自分
 でもそう思っていた。

  時々友人や他人から「かわいい。」と言われても、やっぱり居心地
 が悪くて、否定していた。


  そんな私だったから、自分の正義感にそぐわないことは、
 本当に徹底的に否定していた。


  いつも、周りの人や、社会や、家族や、友人や、また自分の
 悪い点をあげつらっては、否定していた。

       

  ヨグマタジの瞑想を始める前は、そんな自分の姿には全く気づい
 ていなかった。何の悩みもないと思っていた。

  でも、ヨグマタジの瞑想を始めてから、次第に否定的な自分の心
 に気づき、徐々にその心をはずすことができるようになった。


  どんな自分も、そのままでいいんだ。そこから、全ては始まるんだ。
 そう素直に思えるようになった。
  そして、自分がどんどん変わっていった。



  でも、肯定的なことを受け入れることは、随分最近まで、
 うまくできなかったように思う。

  肯定的なことを心で受け入れることで、調子に乗ったり、自信
 過剰で傲慢になったりする経験をたくさん積んでしまっていたから、
 肯定的なことをを受け入れること自体に、臆病になっていたの
 かもしれない。

  瞑想の中で、”いいことも、そのまま、私にぴったりの尊い贈り物な
 んだ”と深く思えてから、いいこともそのまま肯定できるようになった。



  いいこともよくないことも、本当に大切な私へのプレゼントなんだ。
 そう思えてから、自分がまた、とても楽になった。
  いつもとてもたいせつなことを自然に気づかせてくださるヨグマタジ
 に心から感謝しています。
(ねぎ母)

カテゴリー:日記

2012年03月04日 06時00分
生まれ変わりって、本当にある?~今実感として感じていること~
  生まれ変わりも、前世も、自分には全く実感がなく、ある種の占い
 に使うためだけの言葉で、実態のないものだと長いこと思ってきた。

  ヨグマタジのご著書で、「生まれ変わりも前世もあります。」と読ま
 せていただいても、”ヨグマタジがあるとおっしゃられるなら、あるの
 かもしれないなあ・・”くらいで、やっぱりどこか実態のないもののように
 感じていた。



  ただ、ふと思い出すことがあった。
  それは、長年憧れていたクラシックバレエを、30歳すぎてから習い
 始めた時のことだ。
  初めて習うその踊りの一つ一つに、「そうそう、こうだった。」という
 懐かしさというか、思い出すような感覚があったのだ。

  あの時、「前世というものが本当にあるのなら、私は確かに踊って
 いたことがある気がする。」と思ったものだ。
             

  また、初めて出会ったのに、とても懐かしい感じがする人がいたり
 するし、初めて行った場所なのに、やっぱりとても懐かしい感じがす
 る場所があったりする。
  その時やっぱり、「前世というもので、出会っていたのかなあ」と感
 じる。

  私がここ最近、きっと、生まれ変わりや前世がきっとあるに違い
 ない、と思い至ったのは、自分の中に、現在の人生では、全く体験を
 していない、強い感情や思いが潜んでいることに気づいたからだ。



  それは、自分でも不思議なほど、自分には全く身に覚えがないの
 に、確かに経験したことのある感情や思いや、いろいろな場面として
 自分の中に潜んでいて、自分の今の言動に影響を与えている。

  本当はパンドラの箱に厳重に保管されているような、深い激し
 い感情や思いがでてきても、ヨグマタジのマントラや瞑想のお守りの
 お蔭でそれらを流して、きれいにすることができる。
 それは本当にとても貴重で有難いことだなあと思う。

             

  そして、自分の中の、深い感情や思いに気づき、ヨグマタジの瞑
 想やセミナーでそれらを流していただくと、本当に自分の背中に羽が
 生えたんじゃないかと思いたくなるほど、体も、心も生まれ変わった
 ように軽やかになる。

            

  現在の人生でだけで見ると、恵まれている人、いない人がいて、
 それぞれ不公平に思える。
  でも、前世を含めると、恵まれている人は徳を積まれていて、恵ま
 れるための原因をつくっているし、そうでない人は、そうでない生き
 方を前世でもしている。だから、前世まで含めて考えると、人は全く
 平等なのだ、そうだ。

  毎日、毎日を大切に、感謝して生きよう!と改めて思う。
    
  (ねぎ母)
カテゴリー:日記

2012年03月03日 14時00分
いさかいやトラブルの解消法は?
   職場やPTA活動や家庭など、人が集まる場所でトラブルが起き
  る時、冷静に観察していると、人と人の感情や思いというエネルギー
  が混乱したり、衝突している様子がわかる。

       

   以前の私は、いさかいやトラブルに出くわすと、その人が出して
  いるよりもっと強い思いや感情をだして、それを乗り越えようと必
  死だった。
   そして、その度、くたくたに疲れ果てていた。

           

   ヨグマタジの瞑想を続けさせていただいているお蔭で、いさかい
  やトラブルを解消するのには、自分の内側を、静かに、透明に保
  つことが、どんなに強い感情や思いより、はるかに強い力をもって
  いることがわかるようになってきた。

      

   簡単そうで、実は本当に難しいそういったことを、私のような普
  通の人間でもできるように変えてくださる、ヨグマタジのお力は本
  当にすごいと思う。

             

  今日は、長男の通う中学校のPTA役員会最後の定例会だった。

  いろいろな思いの方がいて、本部と各委員長とが険悪な雰囲気に
 なることもしばしばだったのが、会を重ねる度に、関係性が良くなっ
 て、今日は、気が付くと、お互いをねぎらって、お互いを助けるには
 どうしたらいいかを話し合う会議になっていた。

  私は、ただヨグマタジに意識を合わせて、にこにこ聞いているだけ。
 

  以前、ヨグマタジが「瞑想者の力は無意識のレベルに働きかけら
 れる。例えば、しっかりと修業をした瞑想者が乗り合わせていれば、
 列車事故も起きない。」と話されていた。

            

  もちろん、私は、そのしっかりと修業した瞑想者までは行きついて
 いない。が、それでも、今回のように、ただヨグマタジに意識を合わせ
 てそこに居合わせるだけで、事がスムーズに、よい方向に流れてい
 く体験を積み重ねるにつれ、私も、瞑想者の端くれとして、本当にい
 いものをヨグマタジからいただいているんだなあと、とても有難く思う。

  心の力ではなく、もっと深いところにある純粋な力を、みんなが幸
 せになるために使える人になれたら素敵だなあ、と思う。

(ねぎ母)
 
カテゴリー:日記

2012年02月11日 08時00分
エステよりマッサージより100倍効果のある美容法です!
   ヨグマタジの瞑想をいただいてから、大げさでなく、本当に体調
  がいい。

   それまでも、3年間ベジタリアンであったので、それなりに体調は
  よいつもりだったが、そのころとは格段に違っている。

   なにが違うかというと、とにかく体が軽い!

              

   それは、瞑想修行を通じて、心が軽くなってきたのと、ぴったり
  のタイミングで変わってきたように思う。


   一番自分でもわかりやすく、びっくりするのは、肌が以前と全く
  違うこと。

   それまで自分の肌は、固くてざらざらで、吹き出物がでやすく、
  顔色もいまいちで、とても人前に素顔はお見せできない・・・、と
  思っていた。

   それが今では、柔らかく弾力があって、つやつやで、顔色もと
  っても良くなった。3男4歳の肌に近づいてきている感触なのだ。

(こんな美人じゃないですが♪)

    確かに肌が固かったころの私は、自分では気づかなかったが、
   自分の内側も、今よりももっと頑固で、否定的で、攻撃的な固い
   人だったように思う。

    お蔭様で、今の方が、自分の内側が暖かく、柔らかく、優しくな
   っている。

                 

    最近たて続けて、久しぶり(5~8年ぶり)にお会いした何人か
   の人達から「若くなってる!」と声を掛けられて、お世辞をいう方
   々でなかったので、余計にその効果を実感した。

    ヒマラヤの本格的な修業が不老不死の行であることも、実感と
   して納得。
    こころとからだとたましいは繋がっているんだなあと、改めて深
   く思う。
   (ねぎ母)
カテゴリー:日記

2011年10月14日 16時29分
「違う」について
「違う」という言葉を無意識にずいぶん使っていたことを反省。相手を低く見ながら、使っていたことに初めて気が付いた。実は、なんにも「違っていな」かったんだ。みんな必要があって、その状態、その思いでいるということが事実なのだ。きっと。私とカルマが違い、思いが違い、認識している事実が違っているということだけなのだ。そう思うととても軽く、そしてとても優しい自分に出会えた。(ねぎ母)
カテゴリー:日記




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