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記憶に残る大切な出来事をつづっています。 
2015年10月12日 11時41分
瞑想者は一日にしてならず?! 3boys子育てhappylife☆
 ~第1回 私の中の一番の変化 ~
  瞑想を始めて4年半くらいした頃に書いていたブログの資料が
 発掘されました(*^_^*)

  とっても懐かしく、また今読んでも、なかなか面白かったので、
 ご紹介しますね~♡
=============================
ヨグマタジの瞑想を始めて一番変わったのは、
自分にも家族にも周りの人たちにも優しくなってきたことです。

子供の時から、うまくいかないのは努力が足りないせい、という
”ど根性精神”が染み付いていて、いつも力んで頑張って
生きてきました。

だから、知らないうちに、周りの人にも自分にも過度の期待をし、
それが満たされないと非難し、攻撃するという毎日・・・・。

それって自分ではどうしようもないのですよね。止められない。


それが、ヨグマタジの瞑想をいただいてからは、
まず自分の怒りについて、それに巻き込まれずに”観る”ことができる
ようになってきました

瞑想の時唱えるマントラ(音の波動)を唱えると、怒りで自分の中が
嵐になっている時でも、息が出来るというか、つかまるところがある
というか、以前のように、自分自身が怒りに振り回されずにいられる
ようになってきたのです。

以前は、外で仕事をして、疲れて帰ってきて、子供のちょっとしたことで
怒りが抑えられなくなり、寝静まった寝顔をみて、「ごめんね」と謝る
ような生活だったのが、うそのようです。

3息子とも、世間様からみていい子と言われるような大人しいおりこう
さん、ではないかもしれませんが、本当にみんな個性的で可愛くて、
心の底から大大好きです。

本当にこう思えて子育てできるのは、本当に幸せなことです。

ヨグマタジに心から感謝いたします

〈2010年6月〉
(ねぎ母)
カテゴリー:日記
2015年06月02日 23時45分
2回目の合宿の思い出 ~周りから『変わったね!』と言われて~
一回目の合宿でヨグマタジが

「次の合宿もすぐに来るといいわよ。」
とおっしゃったのを聞いて、翌月6月の合宿にも行こう!と
密かに決意した私。

まずは、職場の先輩に
「ヨガの合宿に参加したいので、一週間お休みしたいんだけど・・・。」
と話すと、「いいんじゃない!頑張ってね。」と
あっさり了解してもらえた。
上司にも順調にO.Kがもらえ、
家でも夫が「(ねぎ母は)言い出したら聞かないから・・」と
留守番をO.Kしてくれた。(ダーリンありがとう♡)

思いがけず、6月の合宿に参加できた私。

2回目は一回目より、自分自身に余裕がある感じで、
ゆったりと参加できた。

たくさんの瞑想体験や気づきで
自分が着実に変わっているのがわかる感じがした。


一番の気づきが
「お陰様で」という感謝の気持ちが
とっても理解できるようになったことだ。

それまでの自分は、感謝に気持ちが向くことが
本当にすくなかったんだなあ
ということにも気づかされた。
そして、いままでの感謝とは違う、
もっと気持ちよく自分自身が広がるような”感謝”を
初めて味わえたように思う。


家に帰ると、ますます家族仲もよくなった。
体も軽くて、心も軽やか。瞑想もますます充実してきた。



後で、夫に言われたが、
「(ねぎ母は)2回目の合宿に行ってから、本当に変わったよね!!」
とのこと。

私自身も、自分の芯の部分が変わった、
そんな感覚がしていた。

(ねぎ母)
カテゴリー:日記
2015年06月01日 23時02分
初めて合宿に参加した時のこと ~夢中で泳ぎ切った向こう岸~
先日、久しぶりに7日間の合宿に参加させていただいて、
9年前、私が初めて合宿に参加したときのことを思い出しました。



瞑想を始めて半年くらい経った2006年1月くらい。
ヨグマタジと直接お話する機会をいただいて、
その時、「3月か5月に合宿にいらっしゃい」と
声を掛けて頂きました。

3月は年度末で仕事が忙しいので、5月に行こう!と
なんだかすぐに決心したように思います。

夫も1月に初めてのディクシャをいただき、
二人で瞑想をしていましたが、
当時まだ小学校一年生の長男と、4歳の次男がいたので、
合宿は、夫に無理を言っての参加でした。



とにかく、
朝から晩までのスケジュールについて行くのがやっと、という感じ。
正直、途中で帰りたくなってしまったくらいでした。

それでも、後半に近づくに連れ、
いろいろな気づきや変化が現れてきました。


体が軽い、気持ちも爽やか。
瞑想中に、足が痛くなったとき、
ヨグマタジに「ありがとうございます!!」と懸命に意識を合わせると、
痛いのを感じなくなってしまう体験、などなど。

わーすごいなぁ~!といろいろ実感しました。

最終日、自分の意識とは別に、自分の口からスルリと
「ヨグマタの手足になります。」という言葉がでてきて、
自分でびっくりしたのを思い出します。

その時は、とっても爽快で、
まるで、夢中に泳ぎ続けていたら、
いつの間にか、
こんなに離れていた向こう岸に到着してしまった!
そんな感覚でした。

会場を一歩出て、家までの帰り道、
ものすごく周りの全てが新鮮で、
キラキラしていて、驚きました。
自分の内側がものすごく、キラキラと輝いて、
以前の自分と全然違っているのに、
本当にびっくりしました。

合宿の最終日、ヨグマタジのご講話をいただいた時に、
「合宿はまたすぐに来るといいわよ。」と伺って、
「来月6月にも来よう!」と密かに決心したねぎ母なのでした。
(ねぎ母)
カテゴリー:日記
2015年02月21日 22時24分
26年ぶりの再会 ~高校の同窓生とのひととき~ 
先日、高校3年生の時に仲の良かった友人から連絡が入り、
当時仲の良かったメンバーで久しぶりに会おう!
ということになりました。

高校卒業してから、早26年!ものすごく久しぶりの再会です。



高校時代は、どちらかというと暗黒の時代で、
勉強にも趣味にもなかなか打ち込めず、
ニキビや容姿を気にしては、自分はダメだ・・・と
責めてばかりの日々だったので、
あまりいい思い出がありません。

瞑想を始める前までは、どちらかというと、
高校時代は思い出したくもない感じの印象でした。
思い出すだけで、暗くなるような気がしたものです。


それが!
電話をもらった時も、なんだかとっても楽しみな感じしかせず、
すぐに会うことが決まりました。
以前のような暗い感じは
自分の内側に全然浮かんできません。


会うとまた思い出しちゃうのかなあとちょっと思っていたのですが、
実際会って話しても、
あの頃の暗い感じの心は全然現れてきません。
それどころか、
なんだかあの当時もとっても充実して楽しかったような感じが
ずっとしていました。

同窓生の友人たちからは、
「すごく穏やかになったね!」
「モテるでしょう!」
「いつも笑顔で周りに人が集まってくるよね」
と声を掛けられ、
本当に深いところから、変わったんだなあって思いました。



同窓生たちは、みんなそれなりに歳をとっていて、
幸せそうでも、いろいろと壁があるようで、
「人生やり直したい」と話していました。

そんな中で、私は、
仕事にも家族にも恵まれ、体も健康で、運も良く、
今が一番幸せ!って心から思っている。
本当に”幸せ体質”に生まれ変わられていただいたんだなあ~って、
とってもよくわかりました。

ヨグマタジが、
「なんだかんだ言っても、同窓会に出てごらんなさい。
違いが歴然とあるわよ。」とおっしゃっていたのが、
このことなんだなあと、とってもわかりました。


瞑想がいいんだよ~と
ちょっと宣伝もさせてもらいました。

現在が変わることで、未来も過去も変わる。
そんな幸せを体験させてもらっている奇跡に、
改めて感謝の気持ちが湧いてきました。

高校時代の思い出は、
なんだかすっかり明るいものになった感じです。


(ねぎ母)


カテゴリー:日記
2014年03月11日 17時58分
奇跡への感謝 ~♡脊髄損傷通院終了♡~
5年半前の12月自転車の事故で脊髄損傷になった。
が、ヨグマタジの瞑想のお陰で奇跡的に回復!
(詳細は”思い出~大切な宝物~”2011年11月25日掲載記事へ)

今日は、年に一回の経過観察。
震災の後、3年間ご無沙汰していまっていたが、
久しぶりにお世話になっている総合病院に行った。

先生は新しい先生に代わっていたが、
今日撮ったMRIの写真を見て、
「もう大丈夫だよ!」と太鼓判を押してくれた。

私も写真を見せてもらったが、
びっくりするくらいきれいな脊髄に戻っている!

以前の担当の先生に
「この濁って写っている部分は細胞が死んでしまっているんだよ。
仕方ないね。」と言われていた部分まで、
きれいに再生されていた。

本当にヨグマタジのパワーはすごい!
そして、人間の生命力ってすごいと思った。

整形外科の先生に、感謝の気持ちを込めて、
角川書店の新刊をプレゼントした。
先生は満面の笑みを浮かべて
「ありがとう!読んでみるね。」と言ってくれた。


家に帰ると卒業式の近い長男が早く帰ってきていた。

プリントしてもらったMRIの写真を見せると
すごく嬉しそうな笑顔を見せてうなずいていた。

当時小4だった長男もいっぱい心配してくれていたんだよね。

こうして幸せに過ごせる毎日がさらに有り難く感じる一日だった。

(ねぎ母)

カテゴリー:日記
2013年07月29日 23時22分
変わらないのに変わっている自分 ~中学の同窓生と会って~
先日長男の塾の説明会に行った時、
帰り際にある人から声をかけられた。
私を旧姓で呼ぶその人の方に振り返ると
その人は「私よ、まりこよ~。」と一言。

3秒くらいして
「ああ!中学の時同じ部活だった同窓生だ!」とわかった。

確かに言われてみれば、面影があって、確かにまりこだ。
でも、すごく大人になっていて、(もうお互い42歳になってるから
当たり前だが・・)きっと声をかけられなかったら、
全然わからなかったと思う。

「そっくりだったから、絶対そうだと思ったけど、
すごく優しそうだったから、やっぱり違う人かなあと思っちゃった。」
とまりこ。

すごく優しくなっててびっくり!と10回くらい言われた。(笑)

アタシってそんなにこわそうだったかなあというと、
「こわくないけど、ガッツって感じでがんがん行く感じだったから。
なんだか仏様みたいに優しくなってるよ~。」と。

瞑想を始めてから、久しぶりに会う人から
「変わったね。」「いい感じになったね。」と
言ってもらえることが多かったが、
中学時代朝昼晩とともにすごしていた部活の同窓生に
こんなに言われると、本当に本当に変わったんだなあと
さらに実感した。

ヨガがいいんだよ~。とヨグマタジの宣伝もちょっとさせてもらった。
体もこころもやわらかになるよ~と。

最近疲れやすくてね~という彼女の近況を聞きながら、
瞑想に出会って、本当にこころも体も、深いスピリットも
元気に充電されながら、過ごせている幸せを改めてとっても感じた。

しばらく話して「ヨガっていいんだよね~、いつかやりたいなあ。」
というまりことお互い笑顔いっぱいで「またね♡」と別れた。

(ねぎ母)







 
カテゴリー:日記
2013年01月04日 23時22分
Rさんとの事 ~初めて、私の身近で瞑想を始めた友人~ その1

Rさんと初めて会ったのは、当時長男と次男が通っていた保育園。
保母さんを通じて、「ヨグマタのヨガに興味がある方がいるよ。」
と紹介された。

当時出版されていたのは、たま出版からでていた『悟りへの道』
という分厚い本。
なかなか読むのがたいへんで、
当時の私は毎日ぱっと開いた部分に目を通して
読んだ~と満足していた。

しかし、彼女は数日の間にそれを読んでしまったらしい。
「すばらしい方がいらっしゃるんだと感動した。」と報告してくれた。

Rさんは、ご実家が代々宗教に携わっていらっしゃって、
教会も兼ねているらしい。
小さいころから、宗教の組織を見てきた彼女は、
組織になった宗教が人々を十分に幸せにできていないことや、
宗教の教えに熱心でも、不幸になっていく人々を見て、
本物のマスターがほしいと節に願っていたという。


そんな中、ヨグマタジに出会ってディクシャを受けた彼女は
短期間であっという間に別人に変わってしまった。



ディクシャを受ける前の彼女は、
正直ものすごく暗いものを抱えている雰囲気のある人で、
私もヨグマタジのお守りをいただいていなかったら、
近づくのも躊躇してしまったように思う。


が、ディクシャを受けてからの彼女は、
日増しに、明るくて、かわいくて、誰からも好かれる人に激変した。
以前、会うたびに
旦那さんのだめな所をあげつらっていたのも、どこへやら、
いい人と一緒になってよかったと今では本当に仲良く過ごしている。


彼女がヨグマタジを尊び、素直に頭を垂れる姿は
自分の力で頑張ってきたつもりの礼儀をしらない無知な私に
自然にたくさんの学びをくれた。

初めて私のまわりで
家族以外にディクシャをいただいて瞑想を始められたのが
Rさんだったのは、本当にラッキーだったと思う。(続く)

(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記
2012年11月03日 23時43分
初めてマントラをいただいた頃 ~自分の内側の旅の始まり~

7年前の10月1日初めてヨグマタジの講演会に参加して、
すぐに瞑想を始めたい!と直観的に思った。
そして、その日のうちにディクシャ(瞑想法の伝授)をいただいた私。

今思えば、その尊さも、すばらしさも全く分かっていなかった。

ただはっきりわかったのは、マントラを唱えるたびに
あったかい優しいものが
ぽっと胸に広がる感覚だった。

それまで、頑張り屋で努力家で批評家だった私は、
いつもどこか力が入っていて、自分の内側をみつめる余裕は全然なかった。

確かにある、マントラを唱えて胸に広がる
暖かさ、優しさは
いままで自分が体験したことのない感覚だった。

私の胸の内側は本当はあったかいんだなあ・・。
何とも言えない優しい気持ちが湧いてきたことを思い出す。

その時の講演会の終了時、「変わらなくてもいいけど、変わるととってもいいですよ。」とさりげなくおっしゃったヨグマタジ

私はどこが変わるといいのだろう?とその時はピンとこなかったが、実際にコツコツ瞑想を始めて、やっと自分の中のいらないものに気づき始めた。

(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記
2012年09月12日 12時43分
進化する自分♪ ~いつも自然体でいられる幸せ~

思えば、私はいつも気疲れしていた。

いつの間にか、優等生で生きてきた私は、
知らず知らずに、いつも
「いい人でいよう。」「人から認められる人でいよう。」
と思っていた。

いつも人の目が気になって、気が抜けなかった。
特に、自分や人の外見や態度が始終気になっていた。


だから、お休みの日、スーパーに買い物にいくのも、
お化粧をして、それなりの恰好をしないと、出掛けられなかったし、
ましてや、出勤時は、
ちいさな子供を待たせて、
自分の支度に1時間近くかかっていた。

外にでれば、あの人の態度が悪いとか、あの人のここがだめだとか、
いつも人のことを分析し、批評していた。

だから、自分はいつもいい人で、笑顔でいなきゃ、と口元を意識し、
自分の顔や態度をいつも気にしていた。

自分はよくやっていると自負する一方、
自分の理想に合わない自分は、自分で認められず、
いつも自分を責めていた。


だから、家に帰るとぐったり。
夫やこどもに当たり散らしているのが日常だった。
外で無理して、いい人を演じている分、
気の許せる場所で、感情を発散しないと、いられなかった。


今、本当にびっくりするほど、違う自分がいる。


いつも、どこにいても、誰といても、
自然に、リラックスして、
自分も相手も大事に思える自分。

だから、どこにいても、違う自分を装う必要がないし、
だから、無理がない。
生きることそのものがとっても楽に、楽しくなった。

コツコツと続けたヨグマタジの瞑想やセミナー等いろいろな実践で、
自分の中の怒りや恐怖や不安が本当に小さく、小さくなって、
代わりに、
果てしなく優しく、穏やかで、
それでいて、パワフルで、いろんなことができる自分が
少しづつ現れてきた。

気を使わない自然体でいつもいられる幸せ。

こう、書いてみると、やっぱり奇跡のよう。


ヨグマタジに感謝、感謝です。


(ねぎ母)

 
カテゴリー:日記
2012年05月06日 00時56分
野人の子育てとヨガと part4。
~ 保育園卒園文集より ~
     (ねぎ父)  

まあ、こうしてヨガの先生と出会い、
こんなにいい人になら教わりたいなあ、なんてなって、
私も教わるようになり、そのうち子どもも、ということで
最終的には家族みんなで
ヨガをしてみることになったのであった。



ヨガというのは、体操のイメージが強いけれども、
仏さんのように瞑想したりする。
この静かな時間は結構、自分を対象化して眺めることができ、
やがて自分が気にならなくなるという点において
絶大な威力を持っていると思う。



「カンフーってのは最高の自分でいるためにするんだぜ」
てなことをカンフーマスターであるパンダのポーも言っているし
人は神の前でみな平等、てなことはイエス・キリストも
仰っているわけですが、そういう道と重なっていると感じる。




生きている自分を前に出していくのではなく、
生かされている自分に気づき、感謝し、
活かしていただけるように願う。
そして、目の前のやるべきことに一生懸命に向かう。

すると、すごく、今日もありがたかったなぁ、と、
また感謝して一日を終えることが出来る。



いともたやすくそういうことができる人もいるだろう。
なかなか直せないクセを意思の力で何とかできてしまう人も
いるに違いない。しかし、我が家の経験では、
ヨガが一番強力な方法であった。

前もなかなか頑張ってたし、結構よかったと思う。
でも、今はもっといい。


「通り過ぎたどの時代にも悔いはないけど
君のいない世界に戻りたくない」
と小田和正は歌っていたけれど、そんな感じ。

もちろん、まだ人としての修業は道半ばだけれど、
できるだけ最高の、優しい自分で
居続けられるようにしたいと思う。

 

保育園でたくましく育ったみんながこの先、
世の中の不思議や理不尽に立ち向かう時、
ぜひ最高のみんなとして向かっていくことができますように。


〈終〉
(ねぎ父)


 
カテゴリー:日記
2012年05月05日 23時56分
野人の子育てとヨガと part3。
~保育園卒園文集より~  (ねぎ父)  

なんと言っても、まず、妻が変わった。

何というか、私から見ると妙に損得にうるさくて、
保育園にお迎えに私ばかり行くのは損!
といわんばかりの人だったのに
(ちなみに当時、保育園には、ほぼ毎朝
私が送っていっていたのだが、それは当たり前らしかった)。
お迎えも快く行ってくれるようになったし、
お掃除とか食器の片付けとかも苦手だった妻は、
それらを苦もなくこなすようになった。

自己啓発本を読んで、1週間頑張ってみた、
というのとは明らかに違う
驚きの変化がそこにあった。


実は、その妻の変化に最初、
私は耐えられそうになかった。

違和感を憶え、あろうことか、不快にすら感じた。


そうなってみて初めて、妻に対して
「しょうがねーなー、もう」とどこか見下すことで
心の平静を保っていたことに気づかされた。
人の心とは、実に巧妙に、相手のためのフリして、
しかし「自分」を持ち上げているようだった。



もう一つ、そうやって妻がヨガに熱中するのを
どこかで妬む思いもあった。
熱中するととことんのめり込む妻なので、
休日などもよく、ヨガに行き、子ども等もどこか寂しそうだった。

とてもいい感じに妻は変わっていっているけれども、
家族のバランスがな?

ということで、いっそ、そのヨガの先生に
みんなで会ってみたらいいのでは。と思った。

そんなことを考えていた矢先、その先生が珍しく
近くの都市の文化センターに講演に来るという。

「心が邪魔をするのよ」「愛の人になりたければ、
心は本当の自分でないということに気づけばいいのよ」と、
何か質問したわけでもないのに、
人の心を見透かしたかのように
ヨガの先生は言ったように思う。


何よりそのお人柄はさわやかで、
こんなに優しい人が居るのかな?と
初対面なのに思わせるほど安心感があり
(といっても講演会なので少し離れたところから
見てたわけですが)
心地よく響く言葉はお経のごとく眠りを誘い…
私は子ども等とグーグー昼寝をしてしまったのであった。

(part4へ続く)


(ねぎ父)


 
カテゴリー:日記
2012年05月04日 20時48分
野人の子育てとヨガと part2。
~保育園卒園文集より~  (ねぎ父)  

次男の時には、育児休業も取った。

まだイクメンなんて言葉のない時代のことである。
半日くらい母乳が飲めなくても保つ、くらいの時期に
3ヶ月ほど、彼とべったり過ごした。

次男がちょっとぐずったら、
それが空腹なのかトイレなのかその他なのか…
妻には分からなくても私は当てることができるようになった。

これまた、変な自信を付けるのにはよい機会となった。
母乳は出ないけど男にだって育児はできるんだ、
と思ったものである。


三男の小さかった頃、二度目の育児休業は取らなかった。
0歳児を預けて欲しい~という保育園のプレッシャーに
負けたわけでは、断じてない。

元々仲睦まじい夫婦であったと思うけれども、
その頃には、さらに仲良く、無理なく、
お互いに自然に分業ができていて、
妻は枕を投げるなんてことなく、
恩着せがましくすることもなく、
嬉々として育児をしていたのである。

ほな、父ちゃんは、大食いの上の子らの食費稼ぐのに
頑張ってこようか-。くらいの感じになっていた。

 

今にして思えば、であるけれど、
昔はかなり「頑張って」いたのであった。

子どもの顔色より先に妻の顔色が気になる。
みぐつ君? ささぐ君? 漢字で書くと恐妻家? 
あるいは、いい夫に見られたかった、のかもしれない。
誰からそういう評価をして欲しかったのかは
よくわからないけれど。


今、私も妻もそんなに「頑張って」いないけれども、
あの頃よりもずっと素直に、言いたいことも言えて、
相手の言いたいことも聞けて、
尊重しあえるようになった気がする。

そのきっかけは、妻が始めたヨガを、
家族みんなでやってみたことだと思う。

あれは確実に我が家を変えた。

 

(part3へ続く)
(ねぎ父)


 
カテゴリー:日記
カテゴリー:日記
2012年04月29日 23時00分
野人の子育てとヨガと part1。    

☆保育園の卒業文集より(ねぎ父)

今となってはもう笑い話だから話してしまおう。

「何であなたは寝ているのよ!」と妻に枕を投げられたことがある。

長男が生まれて間もない頃ではなかっただろうか。
ええー?ぼくは育休ではなく昼間も働いているんだけれども?と、ちらっと思った。はずである。


けれども、まあ、子育ては夫婦が力を合わせてするもの。
どこかでそうすり込まれていたから、妻に従ったあの頃。

以来、かなりものわかりのよい夫であったと思う。


ほどなくして長男が夜中にちょいとグズれば
妻より速く起き出す習慣がすっかり身についていた。

元々、
B型の妻よりも輪を尊び気配を察知するのに敏感な
O
型なのである。いや、血液型は関係なく、
私の方が周囲に敏感な草食動物っぽいのかもしれない。
麦っ子のごく一部では野人と呼ばれているけれども。

実際、契機はどうあれ、子育てに突入してみると、
それはとても楽しかった。

私は母乳を出すことは叶わないけれども、
代わりに揺らしながら抱っこであやし、
何とか保たせるテクニックは
妻よりも遙かに上という自信もついた。

その甲斐あってか、お誕生の頃の長男は、夜中に起き出すと
泣きながら、妻を乗り越え私のところまで来るようになっていた

トイレも必ず妻ではなく、私を呼んだ。

(これはなぜか、兄弟3人ともそうだった。彼らのおしりを拭いている回数は、妻よりも私の方が圧倒的に多いと思う。)

単純なもので、「えー」とか何とか口では言いながら、
父はそんなことも嬉しかったりしたのである。
(part2へ続く)

 

(ねぎ父)


 
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2012年02月25日 07時00分
3男誕生秘話 ~ 初めての本気の祈り ~ 
  2男を助産院で出産した時、夫とお見舞いに来てくれた当時3歳半
 だった長男が、「赤ちゃんと離れたくない。」と泣いて帰るのをいやが
 っている姿を見て、夫と”3人目は家で産んでみよう!”と話していた。

  3人目に恵まれて、迷わず自宅出産を見てくれる助産院を探して、
 自宅出産の準備を進めた。

     
  ツワリもしっかりあり、二人の息子の面倒をみながら、正職員とし
 ての仕事をしながらの毎日は、結構きつかったが、見た目には結
 構元気だったよう。結局、体力も気力もあって、予定日6週間前まで
 ばりばり仕事もこなしていた。

  不調が発覚したのが、予定日2週間前。提携の産婦人科病院で
 の最後の定期検診日だった。
                

  超音波でお腹の赤ちゃんを確認した先生が、「赤ちゃんが小さ
 すぎる。これでは、自宅出産を許可できない。」と言い出した。
  当時お腹の赤ちゃんは、推定2,400g。いままで順調だったので、
 正直動揺した。

  その時も、ヨグマタジのことと、いただいているマントラが思い浮
 かび、不安に流されずにどうにか冷静でいられた。

    

  待合室に戻ると、隣の夫婦の会話が聞こえた。「お腹の赤ちゃん
 がいつも一週間で100g増えてるのに、今週は300gも増えちゃっ
 た!」
 
  ”よし、私も来週までに300g赤ちゃんの体重を増やそう!”とそ
 の場で決意した。

         


  それからは、毎日ヨグマタジに、「自宅で無事に出産できますよう
 に。」と毎日懸命に祈った。

  それまで、私は祈りが苦手だった。というより、本気で祈りたいと
 思う場面に出くわさなかったように思う。

  この時は、本当に心の底からの本気の祈りだった。


  祈りと一緒にいろいろな知恵が浮かんで、食事もそれまで、おそ
 うめんなど軽いものが多かったが、玄米に雑穀を混ぜたものに変
 えて、体もできるだけ動かさずに、たくさん睡眠を取るようにした。

  自分でも驚くほど、良く眠れ、良く食べられた。

  不安になりそうなときは、できるだけ不安に引きずられないように
 マントラを唱えたり、ヨグマタジを想ったりして過ごした。

    

  翌週の提携産婦人科での定期検診。

  お腹まわりも、子宮の大きさも、先週とぴったり同じ大きさ。付き
 添いの看護師さんは、不安そうな表情になっている。

  医師が超音波でお腹のあかちゃんを見て、「ああ、大きくなってい
 るね。」と一言。お腹まわりも子宮の大きさも変わらなかったのに、
 なんとお腹の赤ちゃんだけが、298g大きくなっていた!


  ああ、やっぱりヨグマタジのお力はすごいんだなあと素直に思った。
 そして感謝の思いでいっぱいになった。

      

  無事、自宅出産がかなった3男は、予定日の前日、満月の満潮に
 3080gで元気に誕生した。

  キツイ陣痛になってから15分のスピード出産。ヨグマタジの瞑想を
 始める前に産んだ次男の時は、6時間くらいかかっていたので、付
 き添ってくれていた夫もびっくり。

  出血もほとんどなく、「いいお産だった!後,何人でも産めるよ!」
 と助産師さんに褒めてもらった。

  36歳で高齢の出産だったのに!嬉しいやらびっくりするやら。

  夜中の出産を終えた朝方。喜び勇んで、当時小4の長男と年長の
 次男が部屋に飛び込んできた。
  彼らの満面の笑みと、嬉しい大騒ぎがいまでも嬉しく思い出される。
             
                                 (ねぎ母)
カテゴリー:日記

2011年11月25日 00時52分

※3年前、ねぎ母が脊髄損傷になった体験をまとめたものです。ゆほびか(健康雑誌)4月号に掲載中です。

 【事故のお蔭で”生きている幸せ”をさらに実感!


瞑想を初めて早いもので6年になります。瞑想を初めて3年程経った頃、ヨグマタジの瞑想がどれほどものすごいものか深く実感した体験があります。

2008127日(日)正午近く、元気よく自転車で出かけた私は、駅に向かう下り坂の途中で転倒し、脊髄損傷になりました。

私自身は、事故の時の記憶が全くなく、とても気持ちの良い白い夢を見ていたことは、よく覚えています。すると、誰かが何度も呼びかけてくるので、なんだろうと、ふと目を覚ますと、呼びかけていたのは、救急隊員らしく、ピーポーピーポーという救急車の音、両腕のものすごい激痛。さらに救急車がガタンと揺れるたびに細かいガラスの破片が腕中にささるような、いままで体験したことのない気が狂いそうなほどの痛みに更に襲われ、顔も痛くて、目も開けられないという状況が一気に意識に現れてきました。

私は、それを現実と受け止めきれず、「なにこれ?!うそでしょ?いやだ!!何で?!痛い!痛い!」と一瞬パニックになりそうになりました。が、その時、ヨグマタジの名前とともにいただいていたマントラがスーッと思い浮かぶと、パニックになりかけた自分がスーッと脇に寄り、自分は、ひなたぼっこをしているようなとても安心した守られた感覚に包まれました。そして、とても自然に「今の私に必要なことが起きているんだ。」と思ったのです。

                     
こんな状態の時に、冷静な穏やかな自分でいられたことが、本当に奇跡的なことだったと今でもとても思います。もし、瞑想をいただいていなかったら、気が狂いそうな痛みの中、パニックになり、自分を責め、周りを責め、たいへんな地獄を見ていたと思います。



 入院して、先生に「脊髄損傷は、治療法がなく、痛みもどこまでなくなるか、全く保障がありません。」と説明を受けた時も、父や妹は泣いてくれましたが、自分は、なぜか大丈夫な気がして、いつもどこか安心していられました。「2ヶ月は入院して、その後はリハビリ専門の病院に転院してもらいます。」と医師から言われ、子供が小さい(当時三男が1歳半でした。)ので早く家に帰りたい、と話すと、「子供が小さいからこそ、(無理をしなくてはならないので、)家には帰せないよ。」と言われていました。

 絶対安静、常時ものすごい痛みで、更にシーツのすそが皮膚に触れただけで、叫ばずにいられないほどの大大激痛が襲ってきます。全く身動きがとれない状態の私でしたが、それでも、「ほかにやることがないので」というような安心した気持ちでいつも瞑想をしたり、ヨグマタジを想ったりしていました。

                     
 私自身は、日々少しづつでしたが、痛みが減ってきている気がしていたので、朝の回診の時、「昨日より良くなっています。」と先生に話すと「あせっちゃいけないよ。」と言われるだけで、先生はいつもベッドの前を通り過ぎていかれました。


 それでも、毎日先生が通る度にお伝えしていたら、5日目の朝、先生が始めて手を握ってくれたのです。その時も、先生に手を触られるのは、飛び上がるほど痛かったのですが、「根岸さん、筋力が全然落ちてないね!」ととてもびっくりされ、リハビリを始められるかもしれないとすぐに手はずを整えてくれたのです。


 その日事故後初めてベッドから起き上がり、お手洗いまで看護婦さん付きっ切りで行けることになりました。その時もわりとすんなり一人で歩けて、看護婦さんにびっくりされました。自分でも、「一人で歩けるってすっごい幸せ!!自分でお手洗いで用が足せるってすっごい幸せ!!」と感動しました。

        

 リハビリを始めた時も、上半身の硬直のため、両手は肩下までしかあがらず、両手も思うように動きません。握力は、右手は0kg、左手は5kgでした。 が、それでもマントラを唱えてヨグマタジを想うと鉛筆が握れ、文字が書けました。お箸を使っての豆運びも、わりと上手にできました。リハビリの先生に「これなら、早く帰れるかも。」と言って頂いて、とても嬉しかったのを思い出します。

 そんなわけで、私はなんと10日で退院できたのです。(決して、騒いで無理に出てきたのではありません(笑)。)義兄は、大学病院の医師で、義姉は、ホスピスの看護師なので、親族はみんな、私はもう普通の生活は送れないものと覚悟を決めていて下さっていたようで、義母は奇跡だと泣いて喜んでくれました。

 3年経った今は、痛みは全くといっていいほどなくなり、首から腰まで石のように硬直していた体も、背中や肩のほんの一部を除いて、以前のように柔らかくなりました。友人には、「普通の人より、全然元気!」と言われます。周りの人も、自分でさえ、脊髄損傷のことを普段は忘れているほどです。


 この事故を通して、人間にはそれを正しく導き出すことができれば、本当にすごい自然治癒力が備わっていることを実感することができました。

 そして、意識のない状態から、5日間の寝たきり生活を送る中で、人は、最後は、全部捨てて行くこと、体もお金も家族も友人も最後はさよならをしていくことをとても実感しました。そして、その時、自分の中心としっかりと結びついていられるもの(それは、私の場合は、ヨグマタジと、マントラでした)が、いかに自分を助けて守ってくれるかも、深く実感しました。

 ヨグマタジは、全ては学びです、とお話してくださいます。

 私も事故を通して、ものすごくたくさんの学びをいただき、こころも体も全体的に事故前よりとても調子がよく、リフレッシュしています。久しぶりに会った人には、若返ったね!といわれる程です。

 本当に物事には良い悪いということはなく、大切なのは、私たちがそれをどう受け止めていくかということなんだなあ、と思います。

 今回の事故は、交通量の多い道路上でしたので、車に引かれても全然不思議のない場所でしたし、脊髄損傷で私のように、上半身にだけ症状がでて、全身にでなかったこともとてもラッキーなことであるのを、後から知りました。早く瞑想を始めていて、本当に良かったです。

 人は、いつ、何があるか、わかりません。そして、いつかはみんな死んでいきます。

 なにがあっても、自分らしく、最大限の力を発揮して、安心して生きていられる。そのことをヨグマタジの瞑想が可能にしてくれる。これは、本当にすごいことだと、心の底から思っています。

 

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