【事故のお蔭で”生きている幸せ”をさらに実感!】
瞑想を初めて早いもので6年になります。瞑想を初めて3年程経った頃、ヨグマタジの瞑想がどれほどものすごいものか深く実感した体験があります。
2008年12月7日(日)正午近く、元気よく自転車で出かけた私は、駅に向かう下り坂の途中で転倒し、脊髄損傷になりました。

私自身は、事故の時の記憶が全くなく、とても気持ちの良い白い夢を見ていたことは、よく覚えています。すると、誰かが何度も呼びかけてくるので、なんだろうと、ふと目を覚ますと、呼びかけていたのは、救急隊員らしく、ピーポーピーポーという救急車の音、両腕のものすごい激痛。さらに救急車がガタンと揺れるたびに細かいガラスの破片が腕中にささるような、いままで体験したことのない気が狂いそうなほどの痛みに更に襲われ、顔も痛くて、目も開けられないという状況が一気に意識に現れてきました。
私は、それを現実と受け止めきれず、「なにこれ?!うそでしょ?いやだ!!何で?!痛い!痛い!」と一瞬パニックになりそうになりました。が、その時、ヨグマタジの名前とともにいただいていたマントラがスーッと思い浮かぶと、パニックになりかけた自分がスーッと脇に寄り、自分は、ひなたぼっこをしているようなとても安心した守られた感覚に包まれました。そして、とても自然に「今の私に必要なことが起きているんだ。」と思ったのです。

こんな状態の時に、冷静な穏やかな自分でいられたことが、本当に奇跡的なことだったと今でもとても思います。もし、瞑想をいただいていなかったら、気が狂いそうな痛みの中、パニックになり、自分を責め、周りを責め、たいへんな地獄を見ていたと思います。
入院して、先生に「脊髄損傷は、治療法がなく、痛みもどこまでなくなるか、全く保障がありません。」と説明を受けた時も、父や妹は泣いてくれましたが、自分は、なぜか大丈夫な気がして、いつもどこか安心していられました。「2ヶ月は入院して、その後はリハビリ専門の病院に転院してもらいます。」と医師から言われ、子供が小さい(当時三男が1歳半でした。)ので早く家に帰りたい、と話すと、「子供が小さいからこそ、(無理をしなくてはならないので、)家には帰せないよ。」と言われていました。
絶対安静、常時ものすごい痛みで、更にシーツのすそが皮膚に触れただけで、叫ばずにいられないほどの大大激痛が襲ってきます。全く身動きがとれない状態の私でしたが、それでも、「ほかにやることがないので」というような安心した気持ちでいつも瞑想をしたり、ヨグマタジを想ったりしていました。

私自身は、日々少しづつでしたが、痛みが減ってきている気がしていたので、朝の回診の時、「昨日より良くなっています。」と先生に話すと「あせっちゃいけないよ。」と言われるだけで、先生はいつもベッドの前を通り過ぎていかれました。
それでも、毎日先生が通る度にお伝えしていたら、5日目の朝、先生が始めて手を握ってくれたのです。その時も、先生に手を触られるのは、飛び上がるほど痛かったのですが、「根岸さん、筋力が全然落ちてないね!」ととてもびっくりされ、リハビリを始められるかもしれないとすぐに手はずを整えてくれたのです。

その日事故後初めてベッドから起き上がり、お手洗いまで看護婦さん付きっ切りで行けることになりました。その時もわりとすんなり一人で歩けて、看護婦さんにびっくりされました。自分でも、「一人で歩けるってすっごい幸せ!!自分でお手洗いで用が足せるってすっごい幸せ!!」と感動しました。

リハビリを始めた時も、上半身の硬直のため、両手は肩下までしかあがらず、両手も思うように動きません。握力は、右手は0kg、左手は5kgでした。 が、それでもマントラを唱えてヨグマタジを想うと鉛筆が握れ、文字が書けました。お箸を使っての豆運びも、わりと上手にできました。リハビリの先生に「これなら、早く帰れるかも。」と言って頂いて、とても嬉しかったのを思い出します。
そんなわけで、私はなんと10日で退院できたのです。(決して、騒いで無理に出てきたのではありません(笑)。)義兄は、大学病院の医師で、義姉は、ホスピスの看護師なので、親族はみんな、私はもう普通の生活は送れないものと覚悟を決めていて下さっていたようで、義母は奇跡だと泣いて喜んでくれました。
3年経った今は、痛みは全くといっていいほどなくなり、首から腰まで石のように硬直していた体も、背中や肩のほんの一部を除いて、以前のように柔らかくなりました。友人には、「普通の人より、全然元気!」と言われます。周りの人も、自分でさえ、脊髄損傷のことを普段は忘れているほどです。

この事故を通して、人間にはそれを正しく導き出すことができれば、本当にすごい自然治癒力が備わっていることを実感することができました。
そして、意識のない状態から、5日間の寝たきり生活を送る中で、人は、最後は、全部捨てて行くこと、体もお金も家族も友人も最後はさよならをしていくことをとても実感しました。そして、その時、自分の中心としっかりと結びついていられるもの(それは、私の場合は、ヨグマタジと、マントラでした)が、いかに自分を助けて守ってくれるかも、深く実感しました。
ヨグマタジは、全ては学びです、とお話してくださいます。
私も事故を通して、ものすごくたくさんの学びをいただき、こころも体も全体的に事故前よりとても調子がよく、リフレッシュしています。久しぶりに会った人には、若返ったね!といわれる程です。
本当に物事には良い悪いということはなく、大切なのは、私たちがそれをどう受け止めていくかということなんだなあ、と思います。
今回の事故は、交通量の多い道路上でしたので、車に引かれても全然不思議のない場所でしたし、脊髄損傷で私のように、上半身にだけ症状がでて、全身にでなかったこともとてもラッキーなことであるのを、後から知りました。早く瞑想を始めていて、本当に良かったです。
人は、いつ、何があるか、わかりません。そして、いつかはみんな死んでいきます。
なにがあっても、自分らしく、最大限の力を発揮して、安心して生きていられる。そのことをヨグマタジの瞑想が可能にしてくれる。これは、本当にすごいことだと、心の底から思っています。
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